心理操作主義とドラッカー
どうもここんとこ半径5mを見渡した感じ「マーケティング」や「マネジメント」というとなにか「心理操作」的なイメージが広がってるみたいですが、「マネジメントの父」であるドラッカー師匠はこの辺どう考えていたのか。
ちょいとドラッカー経営学の基本である「マネジメント」を紐解いてみましょうか。
- 作者: ピーター・F・ドラッカー,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2001/12/14
- メディア: 単行本
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労働者を働かせる際によく利用される、マクレガーのX理論Y理論、というものがあります。
一種の性善説性悪説のようなもので、
- X理論は「人は怠惰で仕事を嫌い、強制を必要とする」
- Y理論は「人は欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲する」
と定義づけられています。
今日のマネジメントでは表向き、Y理論に沿って物事を考えているように見える。
しかしながら、ドラッカーはこう言います。
産業心理学は、そのほとんどがY理論への忠誠を称する。自己実現、創造性、人格をいう。だが、その中身は心理操作による支配である。
そのような支配は、進化していると否にかかわらず、心理学の濫用である。心理学により人を支配し操作することは、知識の自殺である。嫌悪すべき支配形態である。かつての主人は、奴隷の肉体を支配することで満足していた。
仕事のうえの人間関係は、尊厳に基礎を置かねばならない。これに対し心理的支配は、根本において人をばかにしている。伝統的なX理論以上に人をばかにする。
おおっと。
ここにはさらに、心理操作主義がマネジメントにおいて中長期的には失敗する理由についても面白い分析がありますが、それは本書を読んでいただくとしましょう。できればエッセンス版ではないほうが良いのですが、なにぶん安くない買い物になりますから…。
そしてさらにさらに。
心理的支配は、人を怠惰で仕事を嫌う存在だとは仮定しないが、マネジメントだけが健康で、他の者は全て病気であると仮定する。マネジメントだけが強く、他の者はすべて弱いとする。マネジメントだけが知識を持っており、他の者はすべて無知であるとする。マネジメントだけが正しく、他の者はすべてばかであるとする。まさに傲慢で、ばかげた仮定である。
さすがだよなぁ。
ドラッカーの文体や姿勢はまさに氏の言葉通り、派手さや華麗さとは無縁。簡潔で力強い表現ですし、よくいる未来学者のように扇情的アジテーションをぶったりはしません。
もちろん表現というものにはすべて何かしら心理に訴えかけるものはあるのですが、氏の言葉には常に人間の尊厳を基礎におく誠実さが見てとれます。
常に人間を基本に考えている。だからこそドラッカーの分析や予言は当たるのです。
たとえば2002年のネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるですでにこう述べています。
金融サービス業で行われたイノベーションは、科学的と称するまがいもののデリバティブだけである。しかも、それは顧客のためのものではない。金融サービス業自らが行う投機の利益を大きくし、リスクを小さくしようとする試みにすぎない。
経営陣が大金を懐に入れつつ大量のレイオフを行うことは、社会的にも道義的にも許されない。そのような行為が一般社員にもたらす憤りとしらけは、必ず高いつけとなって返ってくる。
ごめんなさい、まさにおっしゃるとおりでした。
この時代、確かにドラッカーは必読ですよ。特に「経営」や「マネジメント」という言葉について不信感をお持ちの方。真の誠実な知性から生まれた本来的なマネジメントというものをぜひドラッカーから受け取って欲しい。
しかし哲学をやる者ですら天皇とか動物化とかのたまって処世統治学者と化す日本ですから、もう大学で必修にしてもいいくらいじゃない?ドラッカー。