「科学モデルの説明」と、「科学モデルを用いた現実の説明」は違うんですよ

一連の「経済・生産性論争」を観ての「感想」です。
一言でいうと、タイトルのような間違いというかあるいは意図的な混同が議論を迷走させている感じ。
経済学によらず、物理でも生物でもそうですが、ある「科学モデル」について説明するとき、そのモデルが最もうまく機能する「系(=条件の集まり)」を仮定します。
これを「理想系」といいます。
勘違い君が作ってくれたグラフだとか、こちらで「仮定」されている条件などがそれにあたりますね。
「理想系」内では、当然ながらモデルがうまく機能します。そりゃそうです。そのような系を作ったんだもの。
つまりこれは「現実の世界」を反映したものではなくて、「こういうリクツもありえますよ」、とプレゼンするための「お話」なのです。
これに対して現実世界に起こった出来事「現実系」を解析する場合には、モデル通りには行きません。なんせノイズ満載ですから。
かろうじて、実験できる系の場合であれば、できる限り「理想系」に近い条件を設定することでモデルに近い結果が出るか出ないか、を検証することが可能です。
ここで問題なのが、「経済」のような操作の効かない「現実系」での出来事を説明しようとする場合。
このような時まずやるべきことは、現実におけるその出来事においてモデルの「理想系」に必要な条件が整っているかどうかを調べることです。
完璧ではないにしろある程度の条件が整っていなければ、そのモデルを適用して分析することはできません。
なんとか条件の整った部分を見つけてくるか、あるいはその現実の条件下でも適用できるモデルを探し出すか。
そういう手続きが必要になってきます。
山形さんや勘違い君の議論のアクロバティックな点は、現実を分析しているようで、実はモデルの説明をしているということ*1 *2
だからその話の中ではうまくいくのだけれど、結局のところ現実の説明にはならないのです。
ただし、前回も書いたように、そのような議論にも「効果」はあります。
社会現象が自然現象と異なる点は、「人々が信じればある程度そうなってしまう」ことです。
現実がそのようなモデルだと人々が信じれば、人々はそのモデルに従って動きます。結果的に、正しいように見えてしまうことがあるのです*3
が、それも短期間でのこと。
「あるある納豆」、あるいは精神論で戦った旧日本軍のようなもので、信心による効果はすぐに「現実」に押しつぶされるでしょう。経済現象は心だけで成り立つものではありませんからね。
実は経済だけではなく、生物学でもこういうことはよくあります。
コントロールされた実験系での結果からすぐに社会現象につなげちゃう人、いますよね。ネタレベルならいいんですが、結構本気でやってしまうひとが多いので困りもんです。現実に起きた出来事を本当に分析するなら、そこに働くあらゆる力を比較検討しないと意味ありませんよね。
というわけでもう一度。
「モデルの説明」と、「モデルによる現実の説明」とはぜんぜん違うので、注意しましょう。

*1:見えないところで完璧に条件検討が終わってるのかもしれないけど。

*2:まあ池田センセもそれに乗ってはいるのだけれど。

*3:それが、経済学が混迷する原因でもあるんでしょう。皆自分のモデルに沿った世の中を「作りたい」。