動物は労働するか?

ポスト・ヒューマンの魔術師のkimuraさんからコメントをいただきました。
以前私がつけたブックマークコメントに関して、動物が労働するのか否か、という点についての質問ということです。

ぶっちゃけそれは動物・人間・労働の定義次第ではあるのですが、kimuraさんの立脚する定義を完全に把握するのは大変なので、すみませんがとりあえずその辺なんとなくで進めてみます。

まず、例えばですが「腹が減ったので木の実をもいで食べる」、というのは多分ここでの「労働」には含まれないでしょう。こういう、単純に自分の生理的欲求を満たす行動ならもちろん動物もやりますよね。

しかし人間社会、特に現代における「労働」というのは高度に社会化された行為です。それは組織や集団や社会の中の一部分として何らかの役割や機能を担い、生活時間の大半をその役割に費やす、ということです。

こういうことを動物がやるでしょうか。

組織や集団の部分となる、ということは、当然その個体にとって生殖の有利不利に大きな影響があります。子孫を残しやすい役割もあれば、捨て駒的な役割を担わされることもあるでしょう。
とすると、もし遺伝的にそれらの役割分担を決めようとするならば、生殖に不利な役割の遺伝的素養は自然に消滅してしまうことになります。
生殖に有利なポジションの因子ばかり残ってしまい、結局組織や社会としての機能は崩壊します。
これが動物にとって社会的労働が難しい最大の理由でしょう。

しかしながら、自然畏るべし。
遺伝的にこの問題を回避して社会的労働を実現している動物もいます。
シロアリなどのいわゆる「真社会性」を持った昆虫達です。
やつらはどうやってこの難問を解いたのか?
NATROMさんの素晴らしい解説がありますので詳しくはそちらを参照して欲しいのですが、簡単にいえば
「コロニー全体を遺伝的に均一にすることで、生殖の有利不利という問題を事実上消滅させた」
ようなのです。
つまり社会全体がクローンなので、誰が生き残ろうと遺伝的には同じことだよ、というスゴイ方法です。究極の社会主義ですな。というか、ここまで来るとコロニー自体が遺伝的単位なので、もはや一個体と見てしまってもいいのかも。一匹一匹は細胞なのか。

さて、ではむしろずば抜けて遺伝的多様性が高い「人間」ホモ・サピエンスはどうやって社会的労働を実現させているのか?
そこにこそ「人間」が「動物」でない特色があるといえます。
遺伝的な結びつきだけでは現代社会を構築することはできません。
これを克服したのは、まさに「人間」という概念そのものなのです。
人間は、抽象的な概念や思考によって、はじめて遺伝的同一性に囚われず「仲間」、「社会」、そして「人間」という単位を構築でき、動物には不可能なレベルの巨大な組織的活動が可能になったのだと私は考えます。
従って、「人間」という概念の崩壊はやがては現代文明の崩壊につながるといっても過言ではないと思います。そこでは社会的な信頼信用が消滅し、市場も民主制も科学も正常に機能しなくなるでしょうから。

もちろん人間も動物の一種ですが、少なくとも人間的な「労働」はホモ・サピエンスのこういった「人間的」特性から生まれたものだと捉えてよいと思います。
簡単ですが、これらが「動物は労働しない」といった理由ですね。

ただ全体としてはあくまでも個人的見解ですので、kimuraさんは特に権威なんか感じる必要はありませんよ。ご自分で思考を展開してくださいませ。
ではでは。

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