沈黙する日本のドラッカリアン

不思議に思うのは、教育基本法の改正などの大きな社会・政治的変化に関して、ビジネス界やブログ界隈にゴロゴロいるはずの日本のドラッカリアンドラッカーの言説に共感する者)達の意見が聞こえてこないことですね。
「知識社会」を論じたドラッカーは、当然のごとく教育の重要性を強調しています。
知識社会が求める従来とは異なる教育ある者  『ポスト資本主義社会』より

「知識社会は、人文主義者が求める理想像とは異なる教育ある者を必要とする。人文主義者は、偉大な伝統すなわち人類の知恵、美、知識を否定することの愚かさを説くうえでは正しい。だが、過去の継承では十分でない。現実を動かさなければならない」

「知識社会が必要とする教育ある者とは、最先端の専門知識とともにマネジメント能力を持ち、かつ宗教、哲学、芸術を理解する者である考えるとともに見る者、頭とともに体を使う者、体系化するとともに創造する者である。」

そして同時に、社会の多様性を確保することの重要性についても常に指摘してきました。
重要なのは多様性・世界に今以上の均質性はいらない  『ネクスト・ソサエティ』より

日本が今日の問題に独自の解決策を見出し、再起することに彼は期待する。「世界にはこれ以上の均質性はいらない」という。必要なのは多様なモデル、多様な成功、多様な価値観である

このように、ドラッカーは教育を通じて多様な価値観とそれらの相互理解を育み、知的イノベーションを生み出して世界をリードする役割を日本に期待していました。
が、現実はこうです。
「国際人教育」の終わり
美しい日本の心を伝える日本教育再生機構の「おもしろさ」は生で読まないとわからない
教育基本法改正と公共精神 
科学の敵
ドラッカーの示唆とは全く正反対ですね。本当にありがとうございました。

ドラッカーファシズムへの危機感を通じてマネジメントに目覚め、ビジネスに留まらずあらゆる人や組織が無理なく生産性を発揮することで、カリスマや上位下達システムに頼ることなく社会を幸福にする方法について考え続けた「社会生態学者」でした。
しかし結局のところ、日本の「ドラッカリアン」というのはドラッカーの言説をビジネスのネタくらいにしか捉えていない、ということかもしれません。
なんて可哀想なドラッカー