がん研究にみるモデルと現実

がんはなぜ生じるか―原因と発生のメカニズムを探る (ブルーバックス)

がんはなぜ生じるか―原因と発生のメカニズムを探る (ブルーバックス)

たまたま読んだこちらの本がよくまとまっていましたので、以前からちょくちょく書いている科学研究における「モデル」と「現実」の関係についてがんと絡めて書いてみようと思います。
「がん」は人類最大の敵の一つと考えてよいでしょう。寿命が延びるにつれ、社会のストレスが増すにつれがんによる死亡率は上昇し、日本でも現在では死亡原因のトップになっています。
一般に、がんは自分由来の細胞の暴走と考えられています。
基本的にはその通りです。最も簡単化されたモデルとしてよく使われる

遺伝子における細胞増殖の「ブレーキ」もしくは「アクセル」の故障により、無秩序な細胞増殖の暴走が起こる

という理解は最低限の基礎知識としては十分だと思います。
しかし、がん研究の世界をもう少し深く覗いてみると、そこは多種多様な「モデル」の咲き乱れる非常に複雑な舞台であることが見えてきます。
そもそも、この一般的なモデルにたどり着くまでが大変でした。
がん研究における最初のノーベル賞は1926年、ヨハネス・フィビゲルの寄生虫発がん説」です。
フィビゲルはある種の寄生虫を与えることで1913年にネズミにがんを発生させることに成功し、寄生虫による刺激ががんの原因であると考えました。
一方同時期、日本の山極勝三郎は化学物質による刺激ががんの原因と考え、ウサギの耳にコールタールを塗り続けて1915年、遂にがんを発生させることに成功。
フィビゲルの発見はウソではなかったのですが、その後ある種のネズミや寄生虫に限られた特異な例だったことが判明します。
山極の実験の方が一般性は高いと思われたのですが、後の祭りです。まあノーベル賞にはこういうことが結構あります。
そして次に世界を席巻したのが、「がんウイルス」モデル。
発見者のペイトン・ラウスはある種のがんの「感染性」を、ニワトリの実験によって既に1911年に看破していました。
しかしウイルスそのものの研究が進んでいなかったこともあり、当時この成果は黙殺されていたようです。
やがてラウスの実験に基づく研究から「ラウス肉腫ウイルス」が発見され、1966年、ラウスは87歳でノーベル賞を受賞します。ノーベル賞は故人には与えられませんので、まさに信念の粘り勝ちですね。
ここから「がんウイルス」研究が真っ盛りになるのですが、やがて「がんウイルス」がもたらすと思われた遺伝子が、元から人間に存在していることが判明。
ついに「がん遺伝子」モデルが登場します。
増えすぎた人間を死なせるためのプログラムではないか、などという話もささやかれた衝撃的な仮説でしたが、その後「がん遺伝子」と思われたものは正常状態ではなく、ウイルスも含めたなんらかの原因で機能変異を起こしていることが見出されます。今では「原がん遺伝子」などと呼ばれています。
ここでようやく、冒頭の「ブレーキとアクセルの故障」モデルが適用できるようになるのです。
まあ結局のところ、寄生虫も化学物質もウイルスも全くの間違いではなく、部分的な真実であったということです。
「ブレーキとアクセルの故障」モデルはかなり頑丈で広範なので、今後コレ自体が瓦解することは考えにくいのですが、「どのようにしてブレーキとアクセルが故障するか」に関しては例によって諸説紛々、百家争鳴といったところでしょうか。
突然変異説
・染色体異常説
・分化異常説
・DNAメチル化異常説
・がん幹細胞説
などなど。
一つ一つ説明するときりがないのですが、おそらくこれら諸説もどれが完全に誤りでどれが完璧な正解というものではなく、それぞれのモデルが複雑に絡み合ってがんという困難な現実を形作っているのでしょう。
ただ、だからどうしようもないということではなく、それぞれの症例にはそれぞれに優勢なモデルがあるはず。それを正確に見抜き、個々のモデルに沿った治療法を施せば、リクツではがんを叩けるはずなのです。
個人個人で異なり、しかも進行によっても変化する現実の「がん」のモデルを見抜くためには医師の高度な技能、「アート」が必要です。
そしてそのモデルを創り、かつモデルに沿って薬や治療法をも創るのが「サイエンス」。
がんという複雑な現実との戦いは「サイエンス」と「アート」の高度な連携にかかっているのです。