原発批判の原点を読もう・武谷三男編「原子力発電」

1976年の刊行ながら、現在にいたる原発の問題点をほぼ網羅している名著。
福島原発事故に対しての科学的考察に関しては昨年に出た牧野淳一郎氏の
原発事故と科学的方法 (岩波科学ライブラリー)
がマストですが、その牧野氏も文中で挙げ、問題意識の原点ともなったといえそうなのが武谷三男編「原子力発電」

原子力発電 (岩波新書 青版 955)

原子力発電 (岩波新書 青版 955)

です。
序章において、いわゆる原水爆時代の発想から原子力を推進しようとする日本の政治と、これに便乗しようとする学術界、その歴史的経緯と批判が展開されます。
本書の本編は原発に関する技術的科学的な議論で、それは牧野氏の洞察の基礎となった重要な部分なのですが、冒頭のこの歴史部分もそれに劣らずじつに興味深いのです。
日本学術会議の発足は1949年。おりしも同年、ソ連が原爆実験に成功し、米の独占体制が崩れます。核開発競争時代の幕開けです。
1950年には朝鮮戦争が勃発。1951年にはオスロのオランダ・ノルウェー合同原子力研究所の天然ウラン重水型研究炉が完成し、運転を開始します。
これらを受け、1952年、『科学』誌上にて原子物理学者の菊池正士氏が原子炉推進論を展開。さらに、日本学術会議茅誠司氏と伏見康治氏が秘密裏に原子力計画を進めていることが発覚し、武谷氏らの科学者が反発。以下、経緯を引用します。

これは政府部内に原子力のための委員会をつくり、それによって研究費をとろうという計画で、政府、自由党の政治家と連絡があるらしいということであった p10

伏見氏の「原子力機関社説」、すなわち最初から政府部内に原子力委員会をつくると予算がうんと出て、これが機関車になって科学予算が増えるという見解を批判した p13

第一に原子力研究は桁ちがいの予算と多数の専門家を動員するので、政府の研究統制を助長する危険がある、第二に自由な研究、他部門の研究を圧迫する危険、第三に秘密の問題をひきおこし、自由な討論をはばむ p13

昭和二十九年(一九五四年)度原子炉予算二億三〇〇〇万円が突如として改進党中曽根康弘氏を中心に提出され、直ちに衆議院を通過した。中曽根氏は茅氏に「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」といったと伝えられた p13

このように、日本学術会議は発足当時より、原子力行政・業界と密接な関係を持っていたことがわかります。
実際、日本学術会議は2011年震災後の7月11日、「放射線を正しく恐れる」と題した緊急講演会を開催していますが、
http://www.scj.go.jp/ja/event/houkoku/110701houkoku.html
司会は、例の唐木英明氏。日本学術会議副会長でありながら、以下にあるように、事故後にICRPの現存被ばく状況の考え方を「閾値あり」であるかのような誤った情報を拡散し、また住民参加や情報公開の原則を歪曲し続けている人物です。
http://www.foocom.net/column/karaki/4274/
さらには、高線量被曝の直前にあらかじめ低線量被曝させておくと一時的に耐性が増す可能性があるという、実験室でのごく限定的な現象であるホルミシス効果を事故被曝の文脈で持ち出すという、ありえないひどさを誇る山岡聖典氏にまで講演させています。
まさに学術会議主導で原子力業界に「寄り添い」、誤った認識を広報してしまった典型例といえるでしょう。
もちろん、ICRPもWHOも閾値説はとっておらず、閾値を実証した科学的根拠もありません。100mSv以下はわからない、というのもウソであって、古くはoxford survey、近年ではCTscanおよび自然放射線に関する大規模調査で4~10mSvからのリスクが報告されています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2009418/
http://www.bmj.com/content/346/bmj.f2360
http://www.nature.com/leu/journal/v27/n1/full/leu2012151a.html

個人で勝手に信じるのは自由でしょうが、公的な被曝対策において閾値を持ち出すのは明確なまちがいといえるでしょう。
さてホルミシスは論外として、100mSv以下は大丈夫とか影響ないとか確認できないとかいう「閾値あり」な人たちは唐木氏だけではありません。
第3回「放射線の健康影響に関する専門家意見交換会」の討論でも津田敏秀氏や高辻俊宏氏によって批判されたように、
http://www.ustream.tv/recorded/41936844
「専門家と称する方で、100 mSv以下では癌が出ない、という風なことが言いたげなことを堂々と述べてらっしゃる方」は少なくないのです。
代表的なところでは放医研の「放射線被ばくの早見図」。現在は寄せられた批判により改定されていますが、もともとは100mSvの赤線以下において「がんの過剰発生がみられない」と明らかなまちがいを記述。
http://www.nirs.go.jp/information/event/report/2013/0729.shtml
http://www.nirs.go.jp/data/pdf/hayamizu/j/20130502.pdf
現在は「がん死亡のリスクが線量とともに徐々に増えることが明らかになっている」とされていますが、相変わらず100mSvに赤線を引き、その上に矢印を置くという姑息さを発揮しています。
これに続いたのかはわかりませんが、ざっと検索したところ、たとえば以下のような方々が事故後に『100mSv論』を展開していたようです。
『100mSv』山下俊一、長瀧重信、丹羽太貫、中川恵一、田中俊一、中村仁信、石川迪夫、菊池誠、水野義之、浅井文和、岡崎明子、斗ヶ沢秀俊、伴信彦、早野龍五(Forbesなどを広報)、鈴木寛文部科学省、日本小児科学会、日本産科婦人科学会 『もっとひどい年100mSv』野尻美保子、石井孝明、ダニエルカール、島田義也、松田尚樹、大前研一松永和紀(後に「年」を削除)、衣笠達也、浅沼徳子、宇野賀津子 『おまけ月100mSv』野尻抱介(敬称略)
たぶんまだまだおられるんじゃないでしょうか。
興味深いことに、こういう論法は1954年ビキニ水爆実験による第五福竜丸被曝事件*1の際に、すでに使われているのです。

米国側は原子力委員でノーベル賞科学者リビー博士が放射能の許容量をたてにとって、原水爆の降灰は許容量以下であるから無害であると主張した p14

それに対して武谷氏は

許容量とはそれ以下で無害な量というのでなくて、その個人の健康にとって、それを受けない場合もっと悪いことになるときに、止むをえず受けることを認める量であり、人権に基づく社会的概念であることを明らかにして闘った p15

と述べています。実にまっとうですね。
ちなみに同じ頃、輸入米に黄変米が見つかりその有害性が指摘されましたが、政府は科学的に明らかでない、という論法によって多くの反対を押し切り配給を強行。その後高い毒性が明らかになり、配給を断念することになります*2
何度でも同じことを繰り返す、というわけです。
ここから廃棄物処理の困難、原子炉の構造とその技術的弱点、事故が起こりうるメカニズム、放射線被曝の晩発性障害の問題、核燃料サイクルの非現実性など、ことごとく現在の大問題を予見し論じています。
原子力産業における社会的な問題に対する見識もじつに鋭く、現規制委員長に爪の垢を煎じて飲んでいただきたいといわざるをえません。
引用したいところが多すぎて困るのですが、何点かハイライトをば。

原子力発電の利益にあずかる一部の人々が、被害を弱い人々に押しつけておきながら、公共の名を利用して社会全体として利害のバランスが成立すると主張している p84

自然放射線の存在は私達のコントロールできぬものであるが、それと比較して人口放射線の許容レベルを論じようという話が横行している p85

日本の原子力は他の産業と同じように、大企業は下請けに注文し、下請けはその下請けにもっていって、最後の現場は労働条件の劣悪な臨時工におしつけられる p158

政府や業界に都合のよい科学者、技術者だけが委員会などに採用され、かれらの見通しは常に間違ってきた。正しい見通しをもってこれまでのやり方を批判してきた人々は外されたままである p202

地元住民がその生活圏に原子力発電所をうけ入れるかどうか、一人一人の判断に必要な材料は、当然、提供されなければならない。抽象的に絶対安全・完全無害の宣伝をくり返し、具体的には商業秘密の名のもとに事実をひたかくしにする態度では話にもならない p202

原子力発電の当事者、とくに電力会社などからは、むりしてでも原子力発電をしなければ、カラー・テレビが見れなくなるとか、ロウソクの生活にもどらなければならなくなるとかいう宣伝が流されているが、これは電力消費の実績からみて、全く事実を歪めた脅迫というほかない p203

基本的に、「公開」「民主」「自主」の三原則を忠実にまもる以外に、日本の原子力の将来はなく、住民に納得される道もありえないのである p204

まったくもってその通り、としかいいようがありません。
ここまで指摘されておきながら、なにひとつ対応できていなかった原子力業界。また、これほど的確な批判をされておきながら、まったく生かせなった日本の学術界とは、なんなのでしょうか。
そういうことを、原点に戻って考えさせられる一冊といえましょう。