学会声明をもう一度、考えなおそう

その時別に四人連れの登山者が登山道を上りかけていたが、爆発しても平気でのぼって行ったそうである。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。

寺田寅彦「小爆発二件」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2507_13840.html
の一節です。この直後、有名なあのアフォリズム、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」が登場します。
この登山者たちはどうなったのでしょうか? 文中からははっきりとはわかりません。


原発事故の直後、「正当にこわがることは難しい」というこの言葉は、放射線や被曝を必要以上に怖がらないように、という文脈で、多くの人に引用されました。
日本の科学コミュニティとしての最大規模の声明、
「34学会(44万会員)会長声明:日本は科学の歩みを止めない」
http://www.ipsj.or.jp/03somu/teigen/seimei20110427.html
も、このような立場で書かれています。
たとえば声明には

福島第一原子力発電所放射性物質の漏出に対して,海外マスメディアの必ずしも正確でない報道にも影響されて国際的に放射性物質による汚染の風評被害が起きており

とあります。
海外メディアの報道は概して国内のものよりも、大きめのリスク評価をしていました。これを「風評被害」と称しているわけですが、その後、メルトダウンおよびメルトスルー、収束の見通しが立たないことが明らかになり、現在ではむしろ、国内の見方がリスクを過小評価していたといってもよい状況になっています。
放射性物質の飛散、海洋汚染、農産物、水産物の汚染、いずれも現在では「風評」ではありません。


声明には34学会(44万会員)とありますが、実際のところ、作成プロセスにほとんどの会員は関与していません。そのためか、当初より内容についていくつかの疑問も出ていました。
(「34学会(44万会員)会長声明 」について http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/misc/34Gakkari.html#4
(一回「歩みを止め」て考え直そうよ、34学会(44万会員)会長声明 http://togetter.com/li/130053
いうまでもありませんが、この東日本大震災原発事故は、歴史に残る大事件です。研究書、そして教科書にも載るでしょう。科学者コミュニティ最大の声明として、この文章も歴史に残ります。
そういう文書としてあらためて読んだ時、この声明は歴史の評価に堪えるでしょうか。
わたしは正直いって、疑問を感じます。


科学者は過去の例を重視するためか、変化を小さく見積もる傾向がある、という指摘もあります。
(研究者の情報発信はどうだったか?
http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/future_sc/note103.html#rdocsect191
とはいえ、もはや事態の深刻さは明らかです。
中川恵一医師は「大気中に放射性物質はほとんどない」と語っていますが、
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110608/bdy11060822250001-n2.htm
放射線量マップからも、そういえないことは明白でしょう。
http://www.nnistar.com/gmap/fukushima.html
土壌や食物汚染の問題も山積みです。継続期間と放出量を考えれば、チェルノブイリより小さい、とさえいえない状況です。


この会長声明をもって、日本の科学者を代表させるのは、多くの人たちにとって本意でないのではありませんか。
田崎博士の質問状
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/misc/34/shitsumonjou20110518.pdf
にもあるように、原発事故に対する意思表明、収束しない事態や今後考えられるリスクに対する姿勢などをしっかりと盛り込み、また会員が参加できるプロセスを用意して、歴史に恥じない言葉を発するべきではないでしょうか?

教科書に載ることは、科学者の理想のひとつです。
教科書に載るに足る、科学者の声明をもう一度、考えてみませんか?