なぜ研究者は貧乏なのか

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週末の記録
研究って面白い?
「研究」という仕事には、人生を狂わせる危険な構造が潜んでいます。
まずはこちらをごらんあれ。
ハンス・アビング『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』
ここでの「芸術」を「学問」だとか「研究」に変えてみると・・

何だかんだいって学問には威信があり、愛好者は無論のこと、それを需要しない人々でさえその権威を認める。ゆえに市場ベースでは採算がとれずとも研究には支援や公的助成がなされる。そして人材は供給過剰となり、一部の勝ち組を除けば貧困に甘んじざるを得ない。その貧困にもかかわらず研究者志願は、一部はそのリスク愛好性ゆえに、また一部は学問そのものの威信へのより強いコミットメントゆえに、市場からなかなか去らない――。

あら不思議。なんの違和感もありません。
真理の探究だとか学問の面白さだとか、それ自体は素晴らしいものです。
しかしそれが職業となった瞬間、そこには市場が発生し、もはや個人の思惑を超えたところでシステムが作動し始めるのです。
こうなってしまうと、一個人の努力は無駄どころか、下手をすると逆方向に働きます。すなわち、研究の素晴らしさを信じて皆が頑張れば頑張るほど、貧乏になっていく。供給過剰になるからです。
この状況を打破するには基本、一つしか方法がありません。
組織やシステムを築いて情報を共有し、需要と供給の偏りを自ら解消するしかないのです。
それでも現場の下っ端にはなかなかシステムに関与する余地はありません。とりあえず日々の仕事をクリアせねば生活が立ち行きませんから、精神論に頼ることもある。
しかし、エスタブリシュした・システムを担うべき場所にいる人間がそれを言うべきではない。一種の責任放棄と見なされても仕方ありません。そこに必要なのは精神論ではなく、システムに対する改善策であり、具体案であり、行動プランであるべきです。
逆に言えば、そういう立場の人間が精神論しか言わなくなったなら、おそらくその組織・業界の将来は暗いと考えていいでしょう。
そして残念ながら今、日本のサイエンス業界には精神論が蔓延しているように見えるのです*1


金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか


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*1:真理探求が好きなのに、こういった社会システムに関して無頓着なのは実に不思議