追記

さて、当エントリに対して秀さんからTBを頂いたわけですが、http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/24751766.html
正直いってやや期待はずれでした。なぜなら、秀さんも内田さんの魔術から未だ逃れられていなかったからです。

「世界中に平和憲法がこれだけあるのに、世界からは戦争がなくならない。
 空文とは、実際の役に立たない文章、効力のない文書のことである。
 だから、平和憲法は空文である。」

と秀さんはお書きになりますが、この3つが論理的に接続されるにはやはり「平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすものである」が必要となります。
なぜなら、この前提がなければ平和憲法が「実際の役に立たない・効力のない」文章かどうか判断できないからです。
さらに言いますと、これはオカダさんからいただいたTBへの返答にもなるかと思いますが、「平和憲法は世界から戦争をなくす効果を果たすものである」が論理的に破綻するのは、秀さんのおっしゃる「形式論理」を用いたときです。秀さんが使用を禁じている「弁証法論理」を用いたなら、必ずしも破綻はしません(それでも成立するとは思えませんが)。
よって、秀さんが、弁証法論理を持ち出した場合は形式論理で真偽が判断できない、とおっしゃるならば、「空文の効用」は形式論理では評価不能になりますし、弁証法論理を用いるならば、bewaadさんやおおやさんのTBによって否定されるというわけです。
内田さんは詭弁の達人だと思いますが、この程度は見破れないほどではないかと思います。秀さんも内田さんへの先入観を除いて、よーく考えて頂けたら、と思います。