そのメガネは何メガネ

http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060519/1147999773をきっかけに
http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060519/p1
このあたりから始まった一連の「大」論争
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060522
http://d.hatena.ne.jp/macska/20060521/p1
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060520/p2
http://d.hatena.ne.jp/rossmann/20060519/1148013788
などなどなど。。
ですが、khideakiさんの停止宣言でひとまず落ち着いた模様。
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060523/1148345552
折角ですのでどのように収束したのか拝読しましょう。

瀬戸さんの指摘はほぼ全面的に正しかった。

http://ts.way-nifty.com/makura/2006/05/post_7f96.html
どうやらこちらの批判エントリに納得されたようなのですが、内容的にはほぼchikiさん達の批判と同様です。まあ同じ内容でも突然気づく、ということもあるのかもしれません。

自分のひどい論理展開も、戯画的なサンプルとして展示しておこうと思う。

アレですね、「仮定と実際、部分と全体をない交ぜにして煙に捲く」、どこかで見たような詭弁論法ですよね。

だが、自分が抑圧されたことも、他人を抑圧したこともないので

おっとと。。抑圧「された」ことがないのはまことに結構ですが、「した」ことがないかどうかは難しいですよ。往々にして「する」方は気づかないものですから。例えばkhideakiさんが言うところの「封建」主義者が「男尊女卑」な振る舞いをしたとして、それは「抑圧」としてやっているわけではなく、「当たり前」だからやっているわけです。「する」方と「される」方の認識が一致するとは限らないし、「された」ことがないのならなおさら「した」かどうかは分からないでしょう。

この偏見を批判して叩くのは正しいのだが、それでもなおかつ開き直って主張したいのは、これが偏見であると理解しても、この偏見は僕の中からは消えないのだ。

この偏見が消えないので、僕はフェミニズムというものに、本当に深くコミットしていくことは出来ないだろう。

偏見があるから学ばない、と開き直るとはなかなか。。
しかも深くコミットしないのに

行動面においては、僕は決してフェミニズム的な批判は受けないと思っている男だ。

と言い切るあたり、「偏見」というよりは「思い込み」というべきなのかもしれません。
ただまあこのように枝葉末節に関する批判はありますが、核心は非常に納得できるものでした。

フェミニズムが、人の心にまで踏み込んでくるのではないかという偏見が僕にはある。それが、僕のフェミニズムに対する「うさんくささ」の正体だ。

うん、なるほど。確かに「愛国心」やら「武士道」やら、心に踏み込んでくる輩は昨今多いですね。そのこと自体を「うさんくさく」感じるのは尤もです。問題意識としては妥当だと僕も思います。
そうそう、最近の政府や藤原正彦氏も問題ですが、「心に踏み込む」といえば「内田樹」とかいう輩が学者面して若者やサラリーマンの心を土足で荒らしまわっているようですよ。
http://blog.tatsuru.com/archives/000973.php
http://blog.tatsuru.com/archives/000995.php
http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php
全く、ひどいものです。人の心に踏み込むのみならず、ご丁寧に「仮定と実際、部分と全体をない交ぜ」の詭弁まで使っています。
心に踏み込む「可能性」ですらこれほど危惧なさるkhideakiさんのことですから、こういう不逞の輩には必ずやキツイご批判を与えて下さるものと期待しております。