HPVワクチン副反応マウスモデル論文の不当な撤回問題について

Scientific Reports誌に査読を経て正式に掲載された荒谷らによるHPVワクチン副反応マウスモデルの論文が先日、何の不正も認められていないにも関わらず、編集側の一方的な判断で撤回されるという異例の事態が起きました。

Retraction: Murine hypothalamic destruction with vascular cell apoptosis subsequent to combined administration of human papilloma virus vaccine and pertussis toxin
https://www.nature.com/articles/srep46971

撤回を要求したのはHPVワクチン推進側のシャロン・ハンリー氏らのようですが、これはサイエンスおよび医療の両面において非常に重大な問題であるため、基礎的な知識も含めてここで解説したいと思います。
まず、編集部による主張をみてみます。

The Publisher is retracting this Article because the experimental approach does not support the objectives of the study. The study was designed to elucidate the maximum implication of human papilloma virus (HPV) vaccine (Gardasil) in the central nervous system. However, the co-administration of pertussis toxin with high-levels of HPV vaccine is not an appropriate approach to determine neurological damage from HPV vaccine alone. The Authors do not agree with the retraction.

専門家の査読を経て正式に掲載された論文を一方的に撤回するにしては、具体性に欠けるコメントと言わざるをえません。
主な主張は、HPVワクチンの影響を見る際の実験に「pertussis toxin」を使用しており、これがHPVワクチン単独の影響を検討するには不適当である、というものです。
これはマウスの疾患モデルを使った研究を知っている専門家にとっては、非常に奇妙な論理です。

pertussis toxin(百日咳毒素)とはなにか

pertussis toxinは百日咳毒素と呼ばれる成分ですが、たとえばpubmedで以下のように検索してみればわかるように、これはマウスモデルを使って自己免疫性の神経疾患を研究する際には、ごく一般的に用いられている手法だからです。

pubmed検索例
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=EAE++pertussis+toxin
実験用マウスの老舗チャールズ・リバー社からも、pertussis toxinを使った実験的自己免疫性脳脊髄炎の手引きが出ています。
http://www.crj.co.jp/cms/cmsrs/pdf/CRJLetters/CRJLetters-17_2.pdf

ではなぜ神経疾患のマウスモデルにおいてpertussis toxinを使用するのか、簡単に説明しましょう。
pertussis toxin(百日咳毒素)の役割は、一言でいえば「血液脳関門」の機能を低下させることです。
では「血液脳関門」とはなにか?となりますよね。
血液脳関門 (blood-brain barrier, BBB)とは、血液と脳のあいだでの物質交換を制限する機構のことです。
血液は全身に酸素、栄養成分や血球を運び、それらは血管壁を越えて臓器に供給されていきます。しかし、血液は同時に、毒物や病原体をも運んでしまうことがあります。
極めて繊細な器官である脳を守るために、脳の血管ではこの血管壁が極めて厳重な障壁となっていて、通過できる分子をごく少数に制限しているのです。
このため、大きな分子や白血球などの免疫細胞もほとんど脳の実質に入ることはできず、また多くの薬剤もシャットアウトされてしまいます。
ただし、この血液脳関門も絶対ではなく、神経への刺激や炎症によって緩んだり破綻したりすることが知られています。

局所的な神経の活性化により血液脳関門における免疫細胞のゲートが形成される
http://first.lifesciencedb.jp/archives/4397
血液脳関門に関する最新の知見
https://www.jstage.jst.go.jp/article/organbio/20/1/20_36/_pdf

さらに、多発性硬化症に代表される自己免疫性の脳炎においては、やはりこの血液脳関門の機能が低下し、通常は透過しない成分や免疫細胞が脳に浸潤を起こしていることが明らかになっているのです。

Early-Detection Probe for MS Exploits Coagulation Protein
http://www.msdiscovery.org/news/news_briefs/8695-early-detection-probe-ms-exploits-coagulation-protein
神経難病が起こる仕組みを解明
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20151209/
血中の自己抗体が脳内に侵入して神経伝達機能を低下させる
http://www.riken.jp/pr/press/2012/20121212/
抗NMDA受容体脳炎
http://mainichi.jp/articles/20161207/k00/00e/040/223000d

つまり、自己免疫性の脳炎を患っている患者さんでは、なんらかの要因により血液脳関門の機能が低下したことが病気の原因の一端であると考えられるわけですね。
治療や研究の為にはこういった病態をマウスで再現することが必要になりますが、ここで実験用マウスと人間の患者さんとの違いを考えねばなりません。

疾患マウスモデルとは

実験用のマウスというのは、近親交配によって遺伝的に最大限均一にされていますし、生育環境なども可能な限り統一され、健康な状態を保たれています。
一方、人間の場合は遺伝的背景も、生理的条件も、生活環境も人それぞれです。その中で運悪く、特殊な条件に当てはまった方が、病気を発症してしまうわけです。ほとんどの人にとって小麦粉は単なる食料ですが、アレルギーを持つ人にとっては一口食べただけで命の危険がある、それくらいの多様性があるわけです。
ですから病気のマウスモデルを作製する場合には、人為的に特殊な条件をつくってあげなくてはなりません
例えばがんのモデルでは発がんさせるために投薬したり、特定の遺伝子を破壊したりしますし、アルツハイマー病モデルでは特定の蛋白質を過剰に発現させたりします。これらはもちろん人間の患者さんではやっていないことですが、病気の条件をマウスで再現するには必要な手法なわけです。
そうしてマウスで疾患の状態を再現できれば、人間には簡単に試せない手法をいろいろと検討することができ、原因解明や治療法の開発に大きく前進できるのです。
pertussis toxin(百日咳毒素)も、上記のように多発性硬化症などの神経疾患モデルにおいて世界的に広く使われていますが、もちろんそういう疾患の原因がpertussis toxinであるわけではありません。血液脳関門の機能低下という状況を再現するために必要だから使われているのです。
すなわち、HPVワクチン副反応が、自己免疫性の脳炎と類似のメカニズムや現象である可能性があるならば、pertussis toxinを使用して血液脳関門の機能低下という状況を検討するのは、科学的に当然の方法であるといえます。
実際、HPVワクチン副反応の患者さんを診察した専門家は各症状や自己抗体、炎症性サイトカインの増加などから、自己免疫性の脳症との類似を指摘しており、このアプローチは理が適っているものといえます。

子宮頸がんワクチン接種後の神経障害【本疾患の主病態は自己免疫性の脳炎・脳症と考えられ,適切な治療が必要】
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=7027

著者らが「撤回される理由がわからない」とするのも頷けますし、科学者同士で議論をするのではなく、査読を通り掲載された論文を編集側が奇妙な論理で一方的に撤回するのは、科学の手続きからしても非常に大きな問題といえます。
川上浩一氏らの見解に同意です。

「HPVワクチンと百日咳毒素を使う」研究であったことは論文に明確に述べられ、論文タイトルにも表示されています。それで査読され、アクセプト、掲載された論文ですので、この編集者側からの一方的な撤回は理不尽
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/998107609667325952
「査読を通り、再度の訂正もクリアしての掲載なのに、なぜ撤回されたか全くわからない」「我々が教えてもらいたいくらいだ」
https://twitter.com/hichachu/status/999078965250740225

HPVワクチン副反応マウスモデル論文の内容

著者らは論文をさらに強化して他の学術誌に投稿する予定のようですから、とりあえずはそれを待てばよいですが、ここでも当該論文の内容を簡単に紹介しておきます。
荒谷らは、図1aにあるように、この実験ではマウスに対してvehicle(何も入っていない溶液)、Ptx(pertussis toxin)、G(HPVワクチン、ガーダシル)、GPt(HPVワクチン+pertussis toxin)、EAE(MOG=ミエリンオリゴデンドロサイト糖タンパク質という神経系由来の抗原)、EAEPt(MOG+pertussis toxin)の6種類の溶液を注射して観察しています。

vehicleとPtxはネガティブ・コントロール(何も起こらないはずの比較対照)、EAEとEAEPtは以前から知られている自己免疫脳炎モデルの方法で、ポジティブ・コントロール(影響が出るはずの比較対照)ですね。
その結果、図1cのように、vehicle(何も入っていない溶液)とPtx(pertussis toxin)ではなんの変化も認められませんでしたが、G(HPVワクチン、ガーダシル)、GPt(HPVワクチン+pertussis toxin)では接種4週間後にはでそれぞれ2/14、12/21の割合で麻痺症状が現れました。HPVワクチン単独でも症状が現れますが、pertussis toxinはそれを促進していると受け取れます。

EAEとEAEPtではポジコンとしてきっちり5/5、5/5で症状が現れ、実験が機能していることを示しています。
この後の実験では、マウスの脳を組織切片で分析し、HPVワクチンの投与が脳室径に影響を及ぼす可能性や、細胞死を亢進させている可能性を認めています。
シンプルな実験ではありますが、科学的重要性と複雑さは関係ありません。
また、マウスに対するこういった実験は、荒谷らのみがやっているわけではありません。別の研究グループも、条件は違いますがマウスにHPVワクチン(ガーダシル)およびpertussis toxinを投与する実験を行っており、やはりHPVワクチン、HPVワクチン+pertussis toxinで行動異常が増加するというデータを得ており、またワクチン投与マウスから得た抗体が、マウス脳抽出物と交差反応を起こすという結果も得ています

Behavioral abnormalities in female mice following administration of aluminum adjuvants and the human papillomavirus (HPV) vaccine Gardasil
https://link.springer.com/article/10.1007/s12026-016-8826-6

これらを総合すると、HPVワクチンの投与によって生じた抗体が中枢神経系の蛋白質と交差反応を起こす可能性があり、何らかの原因*1血液脳関門の機能が低下している場合には特に重篤な結果を招く可能性がある、と考えることができます。
ただし、現象がどれだけ安定しているか、患者さんの症状をどれだけ忠実に再現しているかは、これらのモデルを多くの研究者らが試していくうちに検証されていくことであり、それによって徐々にファインチューニングされていくものだといえます。もちろんその過程で、現実的には使えないモデルであるということになる可能性もあります。

サイエンスと医療を歪めるシャロン・ハンリー氏ら

ところが、シャロン・ハンリ―氏らはこういった科学的プロセスそのものを、議論も検証もなく妨害しようとしたわけです。
現象を批判したいなら再現実験すればいいのですが、独立した研究グループが同じような結果を出していることから、現象自体は間違いなさそうであり、再現実験すれば再現例が増えるだけになってしまう。だから論文掲載そのものを妨害するしかなかったのでしょうね。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/hans-ronbun-tekkai*2
シャロン・ハンリー氏はガーダシル、 サーバリックスといったHPVワクチンのメーカーから支援を受けている「PCAF(生命のゆりかごを守る運動・シャインキャンペーン)」および「子宮頸がん征圧をめざす専門家会議」双方のメンバーとして知られている人物です。
https://togetter.com/li/976929
こういう姿勢はサイエンスを歪め、また患者の救済や医療の発展すら阻害する極めて悪質なもので、村中璃子氏の言動*3と並んで科学史、医学史における歴史的汚点となることでしょう。
きちんとHPVワクチン副反応の患者さんや症状と向き合って診察、研究を続ける医師、研究者らに敬意を表し、HPVワクチン副反応患者の皆さんの苦難が一刻も早く解決されるように祈っております。

*1:上記のように神経への刺激や炎症で血液脳関門は機能低下します。つまりワクチンアジュバントによる炎症や痛みがそのきっかけとなる可能性もあるでしょう。

*2:ちなみに岩永記事ではHPVワクチンの投与量が過剰とも主張していますが、動物実験の場合、人間との単純な体重比で計算するのは間違いです。動物等価用量でみれば、問題のない量といえます。https://twitter.com/seki_yo/status/999579645543510017 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4804402/ https://www.nature.com/articles/srep46971#comment-3902836005 

*3:村中璃子氏の問題については神経内科医の方のこちらのブログに詳しい https://marugametorao.wordpress.com/