日本は21世紀、とんでもなく重要な役割を担いうるよ

まあもちろんわれわれが逃げずに頑張れば、の話だけども。
大体だねー、世界を見渡しても日本ほどの

科学技術・教育レベル・文化芸術・社会的安定・そして安くて美味い食事

を持った国がどんだけあるかと。そりゃあそれぞれトップではないかもしれないが、これだけのものを総合的に、しかも焼け野原から作り上げた潜在力はやはり恐るべきものです。
むろんボーっとしていれば過去の遺産を食い潰すだけ、という意味で兜の緒を締めなおすことは必要です。
ただし20世紀的バブルを基準に物事を考えているようなアナクロな世界観では21世紀をリードすることはおぼつかない。
確かに規模の経済においては中国にかないません。
しかしこれから数十年、新興国で社会的安定が得られるでしょうか?おそらく一波乱、二波乱ありますよ。特に中国ではかなり大きな事が起こる。アジアにおいて最も信頼性の高い社会は依然日本であり続けるでしょう。
そもそも、経済と規模を至上価値とするコンセプトは古い。無価値ではないしある程度は必要ですが、今後は世界のコンセプトリーダーにはなり得ません。
「社会」と「質」
この二つをいかにデザインし、いかに実現するか、が21世紀の課題です。ドラッカーもユヌスもとっくに言ってることです。
まず日本を筆頭に先進国では巨大な高齢化人口の問題がある。人生を締めくくる人たちにとって必要なことは「人の中で生きる実感」と「健康的な余生」。
これらの価値は必ずしもGDPでは測れない。その意味でも今後先進国ではGDPを指標として頼りすぎることの問題が出てくるでしょう。
日本の人口は今後減るでしょうが、それ自体は問題ではない。住環境も改善されて、一層住みやすくなるだけです。「社会」と「質」の観点からは、好ましいことですらあります。
課題は、そうなる過程の財と暗黙知の世代間委譲
しかしそれを正しく課題と捉えれば決して不可能な話ではありません。
今必要なのは古いコンセプトに囚われてダメだダメだと放言することではない。
「社会」と「質」という、本来日本が最も得意とするところのコンセプトがこれからの世界をリードするのだという正しい課題認識を持つことです。
それができれば、規模で他に道を譲ることがあっても、日本は新たなコンセプトリーダーになり得るでしょう。先進国も、新興国も、今後「社会」と「質」の問題で必ず悩むことになる。それを先取りすることが日本には可能なのです。
現在日本が抱えている諸問題も、未来の「社会」と「質」のための演習なのです。同様の問題は必ず他の国、社会、世界に生じます。おそらくは、より激烈な表現で。
そこで輝くのが新たな「日本モデル」ですよ。一冊数百円で買えるマンガを読めば分かる。コンパクトで、無駄がなく、美しく、多様で、とんでもなく面白い。そして人間とつながりを大事にする社会が日本には可能なのです。
これがチャンスでなくてなんなのか。
しかしなあ、煽るにしてもアメリカで”Yes, we can!”に対して日本のエライ人達の「できません、逃げて〜」ってまあ情けないこと。
その点は確かにガッカリに値しますが、新コンセプトに適応できる人にとっては日本はまだまだ捨てたもんではありませんよ。
連休でちょいと読書でも、という方はとりあえずこの辺が面白いです。

ドラッカーの遺言 (講談社BIZ)

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ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家

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