芸術は再び非営利化する
「世の中は厳しい」なんて大嘘
essa節いいっすね〜。
大枠で反対するわけではないけれど、essaさん自身も書いているようにこれからは「兼業芸術家」の割合がより増え、「専業芸術家」は減っていくことになるでしょう。
つまり「いっそう芸術(だけ)では食えなくなる」ことを意味しているわけで、これを「厳しい」とみるか「甘い」とみるかはのび太のおじいちゃんのように微妙なところです。
今日日音楽にしろ映像にしろ、結構なレベルの作品をネット上でタダで楽しめてしまいます。ということは、そこそこの作品ではネットで稼ぐことはできないということ。これもessaさん自身が「誰もが最高級品を使える経済」で書いていることですが、無限配布可能なソフトウェアにおいては「ロングテール」どころか「テールレス」な状態が生じるんですね。
じゃあ多様な高級品を売ればいいかというと、そもそもそこまで高度な作品を求めている人は多くないし、高度な芸術であればあるほど、現場・現物主義になっていきます。
結論としては、「(ネット)芸術家で食うのはどんどん難しくなる」ってこと。
ただ、食うことさえ考えなければ、芸術好きには割といい時代になるかもしれません。
個々のアーティストがそれで食えなくとも、ネットをうまく使えばある程度の「シーン」を創ることはできるかもしれません。そして「シーン」を維持するには比較的専業なコーディネーター役が必要で、そういう人をアーティスト&受け手が渾然となった「コミュニティ」が支えることくらいならできそうです。
つまりビジネスというよりは一種のNPO的な活動になっていくのです。考えてみれば、シュルレアリスムにしろビバップにしろ、世界を動かした芸術運動のほとんどは小規模で趣味的な芸術家集団*1から生じてきました。もちろん、そんな中から「ドル箱」が生まれる可能性はありますが、それ自体を目的にするとシーンは壊れてしまうでしょう。
カネをどんどん生むという意味での「価値」はないかもしれませんが、人生を楽しむための芸術を求める人にとっては素晴らしい「価値」だといえます。
「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか」を引くまでもなく、芸術で「食う」ことにこだわれば、「食われ」ます。
これからの時代はまず食い扶持を確保して、人生を楽しむために芸術をやりましょう。そしてそれが可能な社会を創ることこそが今後日本の課題となるでしょう。