科学はそもそもブートセクタですよ

なんか今更ですがid:svnseedsさんとこから発見したので。
ACIMという不思議なテキストについて
またアンカテさんね。
問題は文中のこんな架空の対話。

# エハラ: 「あなたのパソコンはウィルスに感染していますよ」
# オオツキ: 「ええっ、それは大変だ。そのウィルスはどこにあるんですか?」
# エハラ: 「ブートセクターです」
# オオツキ: 「なんですかそれは?聞いたことがないな。とにかくそのウィルスのあるディレクトリを教えてください。\windows\system32ですか?それとも\Program filesの下ですか?」
# エハラ: 「ブートセクターはディレクトリで示すことはできません」
# オオツキ: 「それはどういうこと?ハードディスクの中にあるものじゃないんですか」
・・・・・

名前からして、

  • 「エハラ=いわゆるスピリチュアル」
  • 「オオツキ=科学」

を意味しているとみてよいでしょう。
ここでessa氏は、オオツキはファイルシステムという次元から降りてこないために、エハラのいうブートセクタの物事に関しては判断できない、といいます。
しかしこれ、比喩だとしても相当におかしい。
まず、ここでは

として扱われています。
であるならば、科学もまたブートセクタとして扱わねばなりません。
日本では科学の操作的な面しか教育されないので無理からぬことかもしれませんが、科学というのはまず世界観であり、思想であり、認識系なのです。

世界は観測可能な物質やエネルギーによって形成されており、論理や数学を使ったモデルによって矛盾無く説明できる*1

という認識系が科学の根底にはあるのです*2
そしてその世界観に基づいて得られた知識で形成されているのが操作系としての「テクノロジー」というわけです。
つまり、essaさんのネタで比喩を作るとするならば、

  • スピリチュアルをブートセクタとし、儀式やカウンセリングをファイルシステムとするエハラモデル

     vs

として比較せねばならないということです。認識系からして違うのです。
当然、エハラモデルが感染したウイルスはオオツキモデルの知識では分からないし、その逆もまたしかり。
その点では似た結論になるのですが、essaさんの表現では舞台設定にかなり難ありといわざるをえません。
アレではドラゴンボールの世界観で島耕作にダメ出しするようなもんですよ。
「戦闘力5か、ゴミめ」 「いや、専務だし」
というわけで、皆さん妙なレトリックに惑わされないように気をつけましょうね。

*1:もちろん人間的な限界はあるにせよ

*2:だからこそアインシュタイン量子力学に対し、「神はさいころ遊びをしない」といった。不確定性原理は科学の認識系を揺さぶったのです。