続々・NATROM氏『化学物質過敏症は臨床環境医のつくった「医原病」だと思う』等について

承前。
http://togetter.com/li/517251
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130704/p1
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130712/p1
まず、UpToDateに関して質問がありましたので補足しておきます。
先に述べたように、UpToDateはひとつの参考として有用な情報源ですが、ある疾患に関して、それをみればすべてわかるというような包括的な情報ではないという点が重要です。つまり、化学物質過敏症に関してこういう見解がある、ということは言えても、これが化学物質過敏症に関する一般的で包括的 な見解である、ということはできないわけです。
この点でまず資料の使い方に問題があるといえ、『化学物質過敏症は臨床環境医のつくった医原病』と一般化した氏の発言の根拠として不適切といえます。
http://goo.gl/HdI6L
内容に関しても、こちらのUpToDate記事には米国の臨床環境医の治療が不適切な場合があるとの指摘はありますが、『化学物質過敏症が臨床環境医がつくった医原病』であるとの論証はありません。
ここでは生理的エビデンスの不足を述べていますが、たとえばこちらで免疫システムは関係ない、との根拠にされている文献は1986年および1993年のもの2件のみ、酸化ストレスに関しても1992年1999年の2件のみと、きわめて古く限定的で、近年の多数の免疫学的分子生物学な知見が考慮されているとは到底いえません。こちらの著者(精神科医)は、生命科学の知識に関してはかなり遅れており、偏っていることがわかります。
科学的知見の反映に関して、先に紹介した豪政府レポートの方がはるかに包括的であり、また進んでいるということができます。
また精神的ケアの重要性を述べていますが、それは日本で化学物質過敏症の治療に当たる医師らも述べていることであり、医原病の根拠にはならず、当然顧客が増えればだのなんだのと侮辱する必要はありません。
さらに、ここには
『治療者は精神的症状は最終的には脳神経における生物学的問題であることを留意せよ』
(clinicians should remember that all psychiatric illness is ultimately a disorder of brain biology)、
化学物質過敏症心因性であるとの指摘が治療に有益であるかどうかは明らかでない*1
( it is not clear that the success of psychotherapy depends upon whether patients relinquish their belief that IEI is due to toxic causes.)
とあり、この点からもNATROM氏の発言はなんら正当化されえませんし、むしろ治療の妨害に当たるといえましょう。


せっかくなので水俣病を利用した氏の論点ずらしにも多少つきあっておきましょう。
水俣病化学物質過敏症は違う疾患なのだから、『水俣病化学物質過敏症が違う』のは当たり前です。
水俣病には疫学的証拠があったが、化学物質過敏症には不足している、のように氏は書いていますが、なにがいつどの程度あれば十分で、どのくらい不足していれば『医原病』になるというのでしょうか?
水俣病は公式には1956年に認められましたが、50年代初頭にはすでに患者がいたとの証言もあります。劇症型の水俣病はわかりやすかったために比較的早く認定されましたが、わかりにくい軽症型の認定は排除され、胎児性水俣病は調査そのものが行われなかったため、認定がされず、多くの被害者を今も苦しめています。
化学物質過敏症に限らず、状況や症状によっては調査や研究の進展に差が生まれるのは当たり前です。
同じなのは水俣病化学物質過敏症ではなく、政府や加害企業の公害被害を悪化させる姿勢がNATROM氏と共通している、ということです。
またAMAの1992年(!)時点での見解を上げていますが、現在も多くの議論があるとはいえ、『環境医がつくった医原病である』だのという極論はここからは導かれません。しかもその後も現在にいたるまで化学物質過敏症に関する知見は蓄積し続けており、疾患が否定されるような状況は存在しません。また化学物質過敏症(MCS)という表現も、多くの論文や報告書で使用され続けています。呼称に関しては実際の診療や研究に従事する医師や研究者、患者の間でいずれ合意がとれていくことでしょう。
また、先に書いたように、化学物質過敏症には『疫学的根拠』はあります。氏は杉並病化学物質過敏症ではないと考える、と根拠もなく書いていますが、これもまた公害問題によく見受けられるご都合主義というしかありません。


では、次のエントリにうつりましょう。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130716#p1
まず最初の段落。
また論点ずらしです。いいかげんにしてもらいたいものです。
ホメオパシーの批判はどうぞご自由に、また疑わしい医師がいれば個別に批判すればよろしい。そこから化学物質過敏症や環境医に一般化するのは詭弁としかいいようがありません。
また先に述べたように、特定の実験条件で差が見えないことは、環境条件において超微量の化学物質群一般と関係がないことは意味しません。その条件で検出できない、ということを示すだけです。
ちなみに、二重盲検法で検討して差が検出できた例がないというのも間違いです。
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902130694109899

次からやっと本題に入れそうです。
順に見ていきましょう。

「「化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意によって左右されている」というのは、たとえば、「放射能」を不安に思う人が瓦礫焼却に対して「反応」する一方で、瓦礫受け入れに賛成する人には反応しなかったりすることを指します」

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12764204

さて、氏は上記論文が『化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意』の根拠だといいますが、一部の症状に心理的な影響がある可能性を示唆、ならともかく、『化学物質過敏症患者が反応する対象は患者の恣意』との強い主張をできるものでは到底ありません。
まず、ここではチェックリストでの質問で『症状』を定義していますが、これが実際の患者の『症状』と同一であるとの検証はしていません。実験における仮の『症状』と、実際の患者の『症状』をそう簡単に同一視してはいけない、というのは医学研究の基礎的な注意点です。二重盲検信仰もそうですが、どうもNATROM氏の言動には、そういった医学研究の実際的な機微が感じられません。
また、そもそも、そういった外部からの条件付けを『恣意』とはいいません。
http://kotobank.jp/word/%E6%81%A3%E6%84%8F

し‐い 【恣意】
自分の思うままに振る舞う心。気ままな考え。「選択は―に任せる」「―的判断」

『恣意』というのは上にあげたように、「思うまま」のようなニュアンスを含むものであり、心理的影響の可能性を示すには不適切であるばかりか、病因を患者に責任転嫁する意味にもなりかねません。患者さんが不快になるのも当然でしょう。
そして心理的影響の可能性は当の環境医がすでに考慮し、ケアしていることは先に示しました。棚上げ?誰が?ということですね。*2
がれき云々の話はそもどれだけの根拠があるのかわかりませんが、たとえば化学物質過敏症の既往や疑いがある方が微量の放射性物質や化学物質を心配するのは当然であるし、またそういう方が微量の放射性物質および化学物質に実際に反応したとして、なんの矛盾もないのだけれど、たったこれだけのことも理解できないのは、氏の思考が『心因性』で凝り固まってしまっているからでしょう。

「臨床環境医たちが厳しい診断基準を作らなかった理由を、「顧客が減るから」だと私は推測する。連中は患者のことなんて考えてないよ。不安を煽って顧客が増えればそれでよかったのだろう」

ここもお話にならないですね。
もちろん原因や機序を探ることは重要でしょう。しかしすでに述べたように、人間の高次機能に関する疾患の研究はきわめて困難であって、遅々とした歩みにならざるを得ません。
しかも水俣病においてもそうでしたが、十分な解明もないままに『厳しい診断基準』を設定することは、いわゆる「非典型例」患者の排除につながり、病因や病態の解明そのものすら阻害しかねません。
またここでも二重盲検信仰というべきまちがいを犯しています。実験条件そのものが確立していない状況で二重盲検で差が出ないということは、環境条件下での化学物質の関与の否定にはなりませんし、プラセボで『実験上の症状』が出ることは、実際の疾患が心因性であることを意味しません。
当然ながら、顧客が減るからだとか、不安を煽って顧客が増えればそれでよかった、などという結論は一切出てきません。
「大事なのは治療?それとも医者の面子?」という言葉はNATROM氏に対してこそふさわしいと私は考えます。

化学物質過敏症は臨床環境医によってつくられた「医原病」だと思う。」

さて、氏の引用しているデンマークの報告書を見てみましょうか。
確かに、1995年あたりに「医原病モデル」を唱えたグループはいたようですが、現在は2013年です。
そこから蓄積した知見による結論が現在どうなっているか、「原因とメカニズム」のまとめ部分を見てみましょう。

http://www2.mst.dk/common/Udgivramme/Frame.asp?http://www2.mst.dk/udgiv/publications/2005/87-7614-548-4/html/helepubl_eng.htm

At present, most researchers agree on the following:

1. The mechanism is based on an interaction between one or more physiological and psychological factors and
2. MCS is primarily seen in persons, who react more readily to external environmental impacts than others.

The following hypothesis can be put forward: The illness mechanism behind MCS involves both physiological and psychological impacts on certain brain centres in particularly predisposed persons.

現在、ほとんどの研究者は以下の見解に同意している
1.化学物質過敏症の機序は複数の生理的・心理的要因の相互作用による
2.化学物質過敏症は、外的環境に対して他よりも感受性が高い状態にある個人においてまずみられる
ここから以下の仮説が推奨される:化学物質過敏症における機序には、特に感受性が高くなっている一次曝露を受けた個人の脳の特定部位に対する、生理的心理的双方のインパクトが含まれる。

終了ですね。
追記デンマークの報告書はこちらに和訳版がありました。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/sick_school/cs_kaigai/mcs_Danish_EPA.html

引用したツイートはもうひとつありますが、そちらの説明はないようです。
https://twitter.com/NATROM/status/343387391605735426
「香り付き柔軟剤で調子が悪くなる人がいるのはよくわかる。しかし、「ドアを開けると放射性物質が入ってくるのが感じられる」とか「3m先の野菜の残留農薬に反応する」とかはわからない。柔軟剤で調子が悪くなる人も、一緒にされたくないでしょ?」

まとめると氏がやっていることは


・その疾患の診断にも治療にも研究にも実際には従事したことのない医師が、
心理的影響「も」ある、という見解を拡大解釈し
・実際の患者に対して、偏った考えをもとに干渉し、精神的苦痛を与え、患者間や主治医との分断をうながし
・これらを指摘されても謝罪もなければ改めることもない

今まさに患者に不利益を与えているのが、ほかならぬNATROM氏本人だといえるでしょう。
どんな分野にもおかしな方はいますから、いわゆる環境医と呼ばれる中にも、おかしな方はいるでしょう。であればその人個人を批判すればよろしい。
ただし、化学物質過敏症に関する氏の姿勢は、自身が「おかしな方」であるといわざるをえません。

氏が本当に医師であるのかどうかは私は知りませんが、少なくとも医師の立場からこういうことを続けるのであれば、大きな問題であるといわざるをえないでしょう。

もう一度書きましょう。
「大事なのは治療?それとも医者の面子?」という言葉はNATROM氏に対してこそふさわしいと私は考えます。
このままの姿勢を続けるのであれば、いずれ患者さん達が断固たる措置をとることもありうるでしょうね。

追記

ちなみに、NATROM氏は認知療法に関して触れており、化学物質過敏症に対して有意ではないものの、ある程度の有効性が考えられる方法*3も以下のように存在します。
Mindfulness-based cognitive therapy to treat multiple chemical sensitivities: a randomized pilot trial.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22530938/

しかし認知療法といっても、このMindfulness-based cognitive therapyは、化学物質過敏症が化学物質によるとか心因性だとかいった認識の矯正とは異なり、瞑想をメインとする以下のような一種のストレス低減法です
http://d.hatena.ne.jp/n_n/20110706/p1
マインドフルネスストレス低減法
マインドフルネス認知療法:うつを予防する新しいアプローチ

UpToDateの項に示したように、認識への介入の有効性は明らかではありません。しかし患者のストレス一般を減らすことは大事だということでしょう。別にこれも環境医が否定していることではありませんし、そもこのメソッドが医療現場に入ってきたこと自体が最近のことであって、環境医のせいで遅れたわけではない。
ではNATROM氏の発言は患者のストレスを減らしているか? 否、明らかに増やしています。氏と関わった化学物質過敏症の患者さんに伺えばよろしい。
主治医でも精神科医でもないにも関わらず、医原病や心因性との偏った知識に凝り固まり、治療に意義があるかどうかもわからない認知への介入を行い、患者のストレスを無益に増やしている。
それが氏のやっていることです。そろそろ気づかれてはいかがでしょうか?

*1:直訳だと『心理療法の成果が患者がIEIが物質毒性要因によるものだという考えを廃することによるかは不明である』のような感じ

*2:http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2510dir/n2510_03.htm

*3:In conclusion no significant differences on effect measures were found, which could be a question of power. The positive verbal feedback from the participants in the MBCT group suggests that a larger randomized clinical trial on the effect of MBCT for MCS could be considered.