新時代の中間共同体

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20050321
僕なりに続きを書いてみます。
中間共同体の再構築が必要だというスローガンは、内田氏に限らず、宮崎氏や福田氏などの保守系の論客は大体唱えてますよね。
まあ僕も、中間共同体の必要性は認めます。ただし、気になるのは「再構築」という場合です。

もう一度破壊された「中間的共同体」を再構築すること。

そういう素朴な人間的知見を、もう一度「常識」に再登録すること。

内田氏の場合も文脈からそう取れますが、これはすなわち旧来的な家族制度の復活、ムラ社会の復建、を志向しているように思えます。
さらに内田氏は恐らく、怨敵フェミニストを共同体破壊の元凶にしたてあげ、オジサンの喝采を得る寸法でしょうが、僕にはこれもミスリードに思えます。

僕は狭義のフェミニストではないし、現在のフェミニズムの方法論には大いに批判的です。しかし、これからの「新たな」中間共同体の構築において、フェミニズムリベラリズム的な思考も重要になってくると考えています。

旧来の中間共同体は、基本的な価値観の一致を原則としていました。家族もそうだし、地域社会もそうです。宗教団体もそうでしょう。
しかし、このタイプの共同体の大規模な復活は、既に価値が多様化した現在、不可能です。また、無理に再建しようとすれば、大きなストレスを生み、逆効果ですらあります。
またネット上では価値を同じくする仲間と出会えても、リアルな生活の役にはあまり立ちません。どうしても、この「中間共同体」はリアルに近くにいる人達で形成されねばなりません。

すなわち。
価値観の異なる人間とやっていく能力。主義主張はとりあえず置いておいて、共に生活を形成する能力。
こういったスキルを基にした『生活共同体』。これが恐らくは次の「中間共同体」の姿です。学生の間でルームシェアが流行りつつあるようですが、これはその前兆とみていいでしょう。
つまり、犯罪でも犯さない限り、生活の場において他人のジェンダー性的嗜好、あるいは政治的主義主張などに拘泥すべきではない、という意味でのフェミニズムは、極めて有効になると思います。

言ってみれば、『スルーする能力』。
これが新時代の最重要なコミュニケーション能力となるでしょう。