共同体と多様化。

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2005/1109001049.php
共同体についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sivad/20050325とかでも書きましたし、関心が深いテーマの一つです。
特にコメント欄が興味深いのですが、Kammy+さんのいう「共同体」は家族や封建制とは無縁なモノだということなので、上記リンク先で述べた僕の構想する「共同体」に近いのかもしれません。個人的には、やっぱり何らかの中間共同体は必要だと思います。もちろんある程度の経済的、身体的、精神的自立は大切ですが、それは「生活共同体」と必ずしも矛盾しないかと。まあウチダさんのようながリベラルの皮をかぶったバックラッシャーもいるんで、「共同体」というだけでアレルギーな方もいるのかもしれませんね。。
ここでは

「〜しか認められない」というと価値観が一元化してしまったかのようだけど、実際には多様化しすぎて、そのたくさんの価値観の中から自分と同じ価値観の人を見つけ出すのが困難になっただけである。

とありますが、結局多様化を受け入れる態勢が個人でも社会でもできてないってことでしょうね。「オンリーワン」と皆が言うから自分も言う、っつー矛盾に似てますな。

もっとも、価値観が多様化しすぎると、どんな考えを持っていても誰かしらに反論され、「あんたの価値観は認めない」と叩かれる事態が生ずるわけで、そういう世の中が窮屈だという意味ならばそうかもしれない。

これもまあリバタリアニズムの極端な世界ですな。全員が住み分けてハッピーになれるならともかく、世界は有限ですからそれは無理です。そこで、最低限のルールは決めておくことになります。「例え価値観を認めなくても叩かない」とか。