その上で

例えば「労働はオーバーアチーブメントである」という仮説を科学的な視点から見ますと、事前に特殊な定義宣言もありませんし、「労働」や「オーバーアチーブメント」が一般的な語義であるならばこれは「反証可能性」のある科学的仮説といえるでしょう。調査可能です。限定条件も特にありませんから、文脈的にもこれは

  • 個人におけるいわゆる「労働」は全てまたは一般的に「オーバーアチーブメント・受け取るより過剰に与えている状態」になっている

という仮説だということになります。
で、詳細な調査をするまでもなく、反証例は沢山存在することが明らかなわけです。もし反証例が極々限定的な場合でしたら、ちょっとした注釈・条件を付け加えれば許されるかもしれませんが、今回はそういうレベルではないでしょう。
事実を記述しようとした仮説としては、棄却されるべきものです。定義を変えてでも仮説の形を残したいというのなら、「変えた定義」を使った場合の「反証可能性」についてもう一度検討すべきですし、調査方法も変わるでしょう。そもそも大幅な定義変更をするなら別の言葉・概念を使うべきなのに、それをしない理由も問われるでしょう。
もし内田氏の言説を「コンスタティブ」に分析するとすれば、こういう手順を踏むべきなのです。
id:khideakiさんも上のエントリでこうおっしゃっています。

解釈によって常に変わりうる概念でしかないからだ。科学はそういうものは対象にしない*1