知性にオッカムの剃刀は入らない

ノーベル賞博士が差別発言「黒人、知能で白人に劣る」
コレねぇ。まあワトソン博士は社会的発言がアレということでは有名ではあったけど、齢食ってさらに脇が甘くなったといいますか。
ただ社会的といいましたが、これは科学的にも十分アレな話なわけで。
例えばこれが「IQ」の話であれば、IQの統計的な平均値は
アジア人>白人>黒人*1
らしいので、まあ黒人が劣る、というのは嘘ではありません。
しかし原文を見てみると*2

He says that he is “inherently gloomy about the prospect of Africa” because “all our social policies are based on the fact that their intelligence is the same as ours ? whereas all the testing says not really”

どうもIQの話ではなく、より抽象的な”intelligence”について語っていることが分かります。残念ながらこれはアウトです。
科学というのは「還元主義」と呼ばれるように、複雑な世界を出来るだけ単純モデル化しようとします。「オッカムの剃刀」ってやつですね。
そのため、測定しやすいパラメータ、差が出やすい条件、面白い・関心を引く切り口を選んで研究を行います。
その後の実験と記述がきちんとしていればコレ自体は捏造でもなんでもなく、むしろ研究者のセンスと呼ばれるのはこういう部分に現れます。
ただし、その単純化や切り口が現実の世界を正しく表現しているかどうかは別問題。そもそも「オッカムの剃刀」自体一種の経験則で、これで今までうまくいってきたよ、というものに過ぎません。
特に近現代になって生命や社会、知性といった超複雑な現象を扱うようになると、剃刀の切れ味はかなり怪しくなってきます。
IQというのもメチャクチャ複雑な「知性」という怪物を単純化しようとした「剃刀」の一つで、確かに知性の中のある部分を測定しているようには見えます。
ただそれは官僚が自分の基準で作った「知性テスト」のようなもので、デザイナーの基準や漫画家の基準やエンジニアの基準や起業家の基準や料理人の基準は含まれていないのです。
そして科学そのものが、官僚的な一元的知性でなく、多様な知性が自由に集まることで発展してきた「集合知」システムの上に成り立っているわけです。
ワトソンは「DNA=遺伝子」という生命科学の中でもっとも「オッカムの剃刀」的な発見をした人ですから、その有効性に頼ってしまうのも分からなくはありません。相棒だった天才フランシス・クリックも晩年は意識の研究に心血を注ぎましたが、結局知性のDNAを見つけることはできずに世を去りました。
もちろん知性が人間の身体という物質的基盤から生まれる以上、そこに遺伝も含む何らかの物質的な作用があるのは間違いありません。が、DNAの時のようにきれいに剃刀が入る可能性は低いでしょう。DNAの時はシャルガフやフランクリンによるきれいな補助線がいくつもありましたが、知性にそれはない。
まあワトソン自身

More importantly from my point of view, there is no scientific basis for such a belief.

と弁明しているようですが、学者にとっての大発見は自分の子供か時にそれ以上のもの。かつて成功した方法論から逃れられないのはなかなかツライもんですな。

*1:この区別自体も便宜的なものですが。

*2:引用先訂正。