やっぱり人類は宇宙で孤独なのかもしれない

ドレイクの方程式ってのがあります。


N :我々の銀河系に存在する地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間

こういうやつで、要するに我々人類が接触する可能性のある地球外文明の数を大雑把に計算してみよう、という試みですね。
特にfl以降は確実な数字を入れることはできなくて、飽くまでも推測するだけなんですが。例えばWikipediaによるとドレイク自身は

R = 10個/年
fp = 0.5
ne = 2
fl = 1
fi = fc = 0.01
L = 10年

という数字を入れたそうですが、これではN=0.01で1より小さくなってしまいます。まあLが10年は小さすぎるので100年としても0.1。1より小さいと言うことは、人類そして人類のような知性の存在はそれだけ希少であり、イレギュラーな存在であるということになります。
結局生命が発生し、さらに文明を築くかどうか、と言う点の評価がクリティカルになってきますね。
例えば生命が発生すれば進化は必ず人類のような知性にたどり着く、と考えれば一気にNは増大し、100や1000を超えてしまいます。となれば当然「地球外知的生命体探査」にも弾みがつくってもんです。
確かに人間型知性が自然淘汰の産物であれば、生命がそこに到達する可能性は高いといえるでしょう。進化には「収斂」という現象があって、別々の過程を辿っても自然環境に対する高度な適応の結果が似通ってくることがあります。魚とクジラ、鳥とコウモリなどが典型ですね。
地球的な環境における進化が人間型知性に収斂するならば、同系の惑星でもやがて知性が生まれるはずです。
ただ問題は、人間の知性が地球においてあまりにも特異性が高いこと。
同じ地球にこれほどの生命が存在するにも関わらず、人間型知性を持っているのは地球上で人間だけ。
これは何を意味するのか?
実はこういう種特異性の高い形質は、「性淘汰」の産物である可能性が高いのです。
こちらでも書いたように、性淘汰では自然淘汰と違い、偶然が大きな役割を果たします。ほんの少しの偏向がポジティブフィードバックで増幅され、種特異的で極端な形質を生み出すのです。このような形質はほとんど予測不能であり、仮に「進化をやり直し」したとしても全く違ったものが生まれるでしょう。「性淘汰」は収斂しにくい。「カオス」の世界ですね。
すなわち、もし人間の知性が「性淘汰」によって生じた形質だとするならば、たとえ生命が生まれても人間型知性に達する可能性は極めて小さくなってしまうのです。
上で言うと、fi = fc = 0.00000000000000001のような事態ですね。
これでは、銀河系に人間型知性が存在することはほとんど奇跡といっていい確率になってしまいます。
ただ実際の観測結果は残念ながらこの解釈を支持しているようにも見えるのです。知性が自然淘汰の産物であり、ドレイクの式でNが1000もあるのなら、地球外知性の何らかの痕跡が手に入ってもおかしくない。が、フェルミのパラドックスにあるように、どうにも人類は孤独に見える。
残念なお知らせですが、知性の源流が性淘汰にあるとすれば、人類は宇宙で一人ぼっちの可能性が高いといえてしまうのです*1

*1:生命がいる可能性は大いにあると思います。