セカンド・インパクトにいたる幹細胞研究のラプソディー

幹細胞WARS―幹細胞の獲得と制御をめぐる国際競争

幹細胞WARS―幹細胞の獲得と制御をめぐる国際競争

  • 作者: シンシアフォックス,西川伸一,Cynthia Fox,志立あや,千葉啓恵,三谷祐貴子
  • 出版社/メーカー: 一灯舎
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本
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クローン羊ドリーの誕生が幹細胞研究のファースト・インパクトだったとしたら、当然セカンド・インパクトは山中博士のiPS細胞ということになると思います。
本書はセカンド・インパクト直前までの幹細胞研究の動乱をケレンミたっぷりに描いた科学教養書。一般向けとはいえ、医学、生命科学、遺伝学の専門的な知識もどかどか投入されてきますので、専門家が読んだとしても十二分に歯ごたえのある硬派な一冊です。
今となっては報道もiPS細胞一色になってしまっていますが、なぜこの発見があれほどまでに世界を騒がせたのか、これを読めば実感として腑に落ちるでしょう。巻末に少しだけ挿入される「本編の始まり」と題した西川博士の補遺が、この分野の「HOT」さを迫真のものとして感じさせます。


残念な面もありますが、幹細胞研究はもはや文化の域を完全に超えています。
アメリカ、イスラエルシンガポール、韓国、中国、そして日本。
各国の政治的意図が錯綜する中、研究者や医学者たちがシノギを削る様がなまなましく描写されます。

アメリカでは、宗教との確執のみならず、幹細胞研究者の中ですらES細胞派と成体幹細胞派に分かれて大バトルが起こります。
イスラエルでは、宗教との調停をはやばやと終え、むしろ宗教の助力を得て幹細胞研究を推進します。
シンガポールでは、一種の科学独裁体制が生まれ、青天井の予算を与えられた科学者が国策に合致した研究に関しては最大限の自由を得ます。
韓国では、多くのクローン技術を生んだ幹細胞研究者の神格化が起こり、結果最大のスキャンダルを生んでしまいます。
中国では、規制のなさを活かして実験的な治療がものすごいスピードで進められる一方、その安全性や信頼性には疑問が投げかけられます。
そして日本は全体としては出遅れる中、ここには登場せずひとり世界とはまったく異なるアプローチを試みる研究者が歩みを進めていたのです。


世界の趨勢の後追いでなく、独自のアプローチを進めていた山中博士の例を見ても、研究には多様性が必要であることがよくわかります。個人の資金でいえばシンガポールは最強クラスで、予算に「枠」すら存在しない待遇だそうですが、必ずしも研究が世界のトップにあるわけではありません。

同時に、研究は社会に還元してこそ意味がある、と考えるアメリカのプラグマティズムはやはり強力です。90年代にステムセル社を自ら起こしたワイスマン博士のように、研究者も成果を積極的に起業や治療に結びつけ、基礎と応用のサイクルをまわし続けています。

科学的根拠がはっきりしないままに治療行為を行っている人たちも登場します。国家振興としてあからさまに研究者を鼓舞する政治家も出てきます。幹細胞研究はすでに金と名声と権力の渦巻く世界であり、それに魅力を感じる人も感じない人もいるでしょう。


セカンド・インパクト「iPS細胞」後の世界はいっそう混沌としてきました。このままiPSが押し切るのか、ESや成体幹細胞が巻き返すのか。それともやはりまたまったく予想外の発想が世界をひっくり返すのか。

著者は基本的には推進派であり、治療例も好意的に紹介されています。もちろん幹細胞による治療は一般化するにはまだまだ不安定すぎますし、医療は技術のみの問題ではありません。

ただ走るにしろ立ち止まって考えるにしろ、この本で幹細胞研究を取り巻く異常な熱気に触れてみることはおススメしておきます。

晴耕雨読のサイエンスからは遠くなってしまった幹細胞研究。良くも悪くも熱い熱い世界です。