農業再生てのはパンが売れないならケーキを売ればいい、という問題なのか

減反廃止の議論
素人ながらあちこち眺めているんですけど、ひとくちに「農業再生」といってもそこには二種類の全く違う論点が混ざり合ってる気がするんですよね。
弁当翁あたりがとっくに言ってることだとは思うんですが、その二つとは

1.インフラとしての農業 (つまり、自給率の話)
2.ビジネスとしての農業(つまり、雇用の話)

1.インフラとしての農業

自給率を上げたければ選択肢はそんなになくて、まずは国がカネを出してやるということになるでしょうね。
なぜならば、国民は日常食にカネをかけていられないから。
つまり、毎日食べるための米だのジャガイモだのきゅうりだのを作っても儲からない。これはユニクロの挑戦と失敗によって大体明らかになったと思うのだけど、世の中弁当翁のような舌の持ち主だらけではないし、それに日本には優れた調理法が沢山あります。
少々味が落ちても、安全でさえあれば毎日食べるものはちょっとでも安い方がいい。
おいしくて美しい作物を作るってのはとんでもなく手間ひまとコストが掛かるものだと思うのだけど、日常食用の作物でそれをやってもはっきりいって割りに合わないのですよ。
需要側の要因で、ビジネスにならない。

2.ビジネスとしての農業

ということで、農業で儲けようとすれば高級ブランド作物やフルーツ、チーズやキャラメルといった「嗜好品」に走るしかない。
でも、「嗜好品」じゃあいわゆる「自給率」は下がる一方なわけで。
ブランド米でベンチャー、という取り組みをされてる農家がおられましたが(米で起業する!)、収入としては米よりも米ぬか美容商品の方が上だったりしているようです。
むろん自給率なんていらん、という考え方もありますから、儲からない米や野菜は輸入に頼ってより高付加価値な作物に選択集中する手はあります。
日本の果物は本当に優秀ですから、この場合「産業」としてはまあまあ復活して担い手も増えると思います。でも果物ばかり食べるわけにはいきませんし、そもそも生産物は輸出メインになって国内には残らないでしょう。


つまり「インフラとしての農業」と、「ビジネスとしての農業」は下手をすると相反するもので、きちんと区別して論じていかないとあぶはち取らずの予感がビンビンします。
では二者択一なのか、というと、正直そうかもしれません。
ただ改善の余地はあるにはあるんじゃないかなぁ。
わたしの実家はド田舎なのですが、おかげで家庭菜園をぼちぼちやることが出来ます。素人なので大したことはできませんが、気候のいいこともあり時期によっては相当な量の収穫があります。
キュウリ、トマト、茄子、キャベツ、小松菜、大根、にんじん、ゴーヤまでとれます。
中高齢者の胃ならば、かなりの割合で満たしてくれるようです。
とはいえ、この野菜を売れるか、というとそれは厳しい。
いつ、なにがどれくらい、どういう状態でとれるかは分からないからです。素人ですから、このくらいの時期にはこの辺のなにかしら採れるよ、というくらいです。
ただ逆に考えると、インフラとしての、日常食用の作物ってのはこれくらいでいいのかもしれません。
スーパーで売っている野菜や米はインフラであると同時に、商品としての体裁も求められます。
つまり欲しいものが欲しい時に手に入るようにしなくてはならない。
そのように作るには、ものすごくコストが掛かる。ナマモノであり、生き物ですからね。


もし、「インフラとしての農業」におけるコストを激減させ*1、かつその余剰労力を高付加価値作物に集中させることができれば、「二者択一」をある程度は逃れることができるかもしれません。
そのために何ができるか?
難しいですよね。超低コストインフラ農業を受け入れるということは、作物を商品として選ばず、できたモノを食べる、ということです。だから作る側も無理せず、できるモノを作ればよくなる。
選ぶという価値やピカピカの見た目は放棄しなくてはなりませんから、せめて安全と安心は確保したいところです。
となると、一種の生活協働組合のようなものの中での配給形式になるかもしれませんね。
あとは料理の腕が欠かせません。そこにあるもので美味しく仕上げる技術が食生活を決めることになりそうです。
ということで皆さん、まずはチャーハンから!

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*1:アメリカなら超大規模化によるコスト減が可能ですが、日本ではそれができない