嫌中的なアプローチはチベットの利益にならない

んじゃないでしょうか。単純に。
例えばこちらも最近話題のオーストラリアの反捕鯨運動を見るとよく分かるんですが、あからさまに日本を嫌っている人達の言葉やパフォーマンスは、反発を招けど決して正しい効果は持ち得ません。
日本や日本人の態度を硬化させるだけで、捕鯨抑制に理解を示そうとする人にすら反感を抱かせるし、たとえ正しい理屈を言っても届かなくしてしまうわけです。
チベット問題に関して重要なのは中国当局が合理的判断によってチベットへの暴力行使を止め、自治の方向へ向かい始めるような流れを作ること。
面子を重視する中国のこと、嫌中的なアプローチでは多様な中国内の親チベット派にすら反感を抱かせかねません。
それでも悪いのは中国だ?もちろんその通り。
しかし今この場合最優先なのはチベットの利益であって、中国の不利益ではない
とかく社会運動で重要なのは、目的を見失わないこと。ドラッカーもいうように、ビジネスなら最終的に「カネ」という目的に一元的に落とし込むことが出来ますが、社会運動の「目的」は多様であり、評価方法が確立しているとは言いがたい。
このような場合、「運動」や「手段」自体が目的化してしまい、本来とは逆の結果をもたらしてしまうことすらあります。
こちらのEM菌騒動を見ても、見事に手段が目的化してしまっています。
河川を浄化したいのであれば、菌の効果の検証や条件検討には誰よりも積極的でなければならないはずなんですが、もはや手段であるEM菌自体が目的になってしまっている。
今後、社会運動やNPO活動は日本でも活発化せざるをえないと思いますが、せっかくの高潔な意志や善意で正反対の結果を招いてしまわないためにも、目的志向の運動方法論を日本なりに確立していかないといかんなあ、と感じました。
kmiuraさんのこちらの話も似たようなことかもなぁ。
参考:非営利組織の成果重視マネジメント―NPO・行政・公益法人のための「自己評価手法」