元祖ブロガーとしての”アラン”
少し前に梅田さんが楽観主義かなにかの文脈でアランを持ち出していたように思います。
で、というわけじゃないんですが、今日うちの本棚で何気にアラン定義集をとって眺めていると、本編より巻末の解説がやたら面白かったのでご紹介します。
- 作者: 神谷幹夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/08/20
- メディア: 文庫
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「アラン」というのはペンネームつまりidで、本名はエミール・シャルティエ。アランというのはブルターニュ地方ではよくある名前だそうで、「純朴で気立てのいい田舎者で、ちょっと抜けてる」イメージがあるそうです。
彼はこのペンネームについてこのように語っています。
「アラン」が話題になればなるほど、ますます「アラン」の炯眼は冴えるし、ますます「アラン」は自由になるだろう。
匿名万歳!
ブクマ最高!
なんというブロガー気質でしょうか。
そして「書くこと」についてはこう語ります。
毎日書くこと。天才であろうとなかろうと。書きたいときも書きたくないときも。
すみません。サボっています。
まさにブロガーの鑑ですな。
さらに、
書くときは一気呵成に、削除線無しに、決して修正せずに書く。修正したい時はもう一度書く。
これが「アラン」として書く際のルールだったそうです。
どことなくfinalventさんを思わせるストイックなブロガーにしか見えません。しかし一体何故彼はこんな書き方を選び、頑なに守ったのか。
ここからは推測に過ぎませんが、「アラン」の精神は「自由」の精神であり、「意志」の精神であり、「行動」の精神です。
彼にとって、日常の立場を離れ、毎日書き続けるという「意志」と「行動」を通して考えること、それが「自由の精神」そして「精神の自由」の証明であり、実験であったのでしょう。
アランの言葉が現代でも瑞々しく響くのは、もともとウェブやブログに似た即時性を志向して書かれており、また現代のわれわれもアラン同様相変わらず「精神の自由」を求めてやまないからなのかもしれません。
*1:以下、引用は読みやすく多少改変しています