ヤバイのは理科教育より文科教育では?

例えば、

憲法は国民に対する最高法規である  Yes or No ?

だとか

無期懲役終身刑と同義である  Yes or No ?

なんていう問題にどれくらいの正答率があるんでしょう*1。大学生のみならず、社会人においても。
こんなのやあるいはこういうところを読むと、われわれが自分の生きている社会の根本ルールについていかに無知かを思い知らされます。
もちろん、科学も世界についての「根本原理」の一つですし、その方法論や知識について沢山学ぶに越したことはありません。
が、「理科教育」が国を筆頭に声高く喧伝されるのに対して、「文科教育」、すなわち政治の仕組みや法律、経済、あるいは広告の原理などに関する教育について広い議論がなされる気配はほとんど見受けられません*2
それどころか「徳育」「親学」などという明後日の方向へ力が入る始末。理科教育で言えば、化学を教えずに水伝を教えるようなもんです。
まあぶっちゃけた話、教育においても専門家間での勢力争いがあります。
資源も時間も有限である以上、全てを教えるわけにはいかない。何かを沢山教えれば何かを削らねばならないわけです。
例えば生物の教科書に分子生物学的な内容が増えれば、生態や進化の項目が減る。
もちろん何かが追加され何かが減らされる、十分な吟味があればそれ自体は仕方がないことです。一通りの分野に関して必要最低限の知識と考え方が与えられれば、あとは多様な学習方法があるでしょう。
が、残念ながらそういう全体的なデザインが考えられている気配がない。
産業界・霞ヶ関の思惑や、それらに与する専門家達の声の大きさによって教育が振り回されている。
マイナスイオンが何なのか知らないのも問題でしょうが、憲法の何たるかを知らないというのはそれ以上にヤバイのではないでしょうか。
少なくとも私はそう感じます。
理科も文科も含め、教育ってのは全体のバランスを考えねばならないと思うんですが、そういうのは今の日本じゃムリなのかな。
食育ってのもありましたよね。食事ってのはつまるところバランスです。納豆ばっかり食ってちゃいかんわけです。
教育や社会問題も同じハズなんですけど、何故か「チーズ、チーズ、とにかくチーズだ」とか「りんご食ってりゃ何でも治る」みたいな言説がまかり通るんで困ったもんですね。
ちなみに現在冷奴にハマっている私でした。

*1:答 上No、下Yes

*2:ごく一部の専門家が動いているくらいでしょうか。