因果関係は責任関係ではない

「本当は、できるでしょう?」の原初的風景
ホームレスの人を助けるべきか
ある行為がある現象の原因になっている、あるいはなっている可能性がある、なんてことはそれこそ無限に言える話。
ホームレスの人に8000円渡して病院に行かせたために医療ミスで逆に障害を負ってしまうかもしれないし、医師の手が塞がって他の重症患者が手遅れになってしまうかもしれない。その8000円をアフガンに送ればもっと多くの人命が救えたかもしれないし、逆に武器になって人を殺すかもしれません。お腹の子を産めば不幸になるかもしれないし、誰かを不幸にするかもしれない。そうやって考えている内に手を動かせば誰かの命が救えたかもしれないし、救えないかもしれない。
そういうあらゆる因果を「責任」として捉える立場があっても別に構いませんが、その場合「責任」という概念自体が無意味になってしまうでしょう。
「責任」というのは自然における因果を示す概念ではなく、人間・社会がそれらを元に「設定」する人工的な関係なのです。人や社会が生きていくための「ルール」であって、自然法則ではない。
ここに書かれているような事例で「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と考えたい人や社会はそうすればよいし、因果の可能性は認めるけれど責任はないとすることもできます。
つまりはどういう生き方、どういう社会を是とするかで「責任」の設定は変わって来る。またそれは「ルール」に過ぎないので、実際の問題解決には別に実際の科学的因果関係を検討することが必要となる、というわけです。


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