捏造される「好き」にご注意

「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。
一つ学ぶ点があるとすれば、

「何が好きなのか」という根源的な問いに答え続けようと努力する

のくだりでしょうか。
人間の「欲望」は往々にして社会的に形成されます。
「もし知らなければ望まない」ようなモノは基本的に社会的文化的に形成された「好き」であって*1、それゆえに外部から操作されやすい。
何しろ一旦「好き」になってもらえればいくらでも消費してくれるし、タダ同然で労働力を差し出してくれる。
こんなオイシイ話はないわけです。
だからこそマインド・ハックから脳を守る二冊で書いたような心理テクニックを使い、世の中は是が非でも「好き」を捏造しようと迫ってくる。
はっきり言ってしまうと、まず注意すべきなのは「好きなことをしろ」と声高にいう人達なのかもしれません。
ところで、「皆が好きなことを追求する」ことによって、こちらでも書いたように「全体としては不幸になる」場合と、逆に「科学者の楽園」と呼ばれたかつての理化学研究所のように非常な成功を収める場合とがあります。
何が成功と失敗を分けているのか。
一つの原因としては「多様性」が考えられます。
人々の「好き」に多様性がない時、「好き」の追求は単に過当競争と大量の敗者、集団機能の崩壊をもたらします。
一方、「好き」に多様性が豊富で、かつそのエネルギーをうまく制御できた時には、高い生産性と自己実現に満ちた理想的な状況が生まれるのでしょう。
つまり、まず少数のカリスマによって「好き」が左右されてしまうような状況を変えなければ、皆が「好き」を貫けば貫くほど社会はダメになってしまう。
これも結局は集団知の原理に近い話になるのでしょうが、そういった点で梅田さんは極めてアイロニカルな存在なのです。
人々が梅田さんのような人や物言いに左右されなくなった時にこそ真のWeb2.0が生まれ、好きなことをして生きやすい世の中がやってくるのかもしれません。


関連:「空気の実装」としての「はてブ」

*1:だからニセモノ、というわけではないが