いいかげん、教育を「量」で考えるのをやめたらどうか

第101回 東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった

当分の間日本は、ゆとり教育で頭がこわれた連中がまき起こす総社会的知的レベルダウン現象に悩まされつづけることになる。その間に日本という国がこわれてしまわねばいいがと最近本当に心配している。

もちろん、最終的には知識量が問われる場面もあります。
が、ここでも書いたように、一番重要なのは頭の中に「回路」を作ることなのです。
論理的な回路。
数学的な回路。
科学的な回路。
芸術的な回路。
文化的な回路。
歴史的な回路。
「センス」あるいは「モード」と言い換えてもいいかもしれません。
教育の「量」も「質」も、最終的にこういった「学習オートマトン的回路」を形成するためにデザインされなくてはなりません。
「ゆとり」だ「詰め込み」だという二元論で語っている限り、教育は良くなりようがないんですよ、立花さん。理科の知識を詰め込むだけでは科学的思考は身につかない。計算能力と数学的抽象能力は必ずしも一致しない。
まあ知識を詰め込むだけではダメだというのは、当の立花さんを見れば一番よく分かるんですけどね。
「総社会的知的レベルダウン現象」はむしろ、立花隆が「知の巨人」と呼ばれるようになった瞬間にこそ始まったと言って過言ではないでしょう。