経済の「取説」or「広告」?

生産性の話の基礎
生産性と「格差社会」
うーん、山形さんの話は「単純」ではあるけれど、必ずしも「分かりやすく」はないよなあ。
というかこれ「取説」というよりは「広告」、つまり「動員のための文章」ですよね。そもそも、学問を正確に伝えるのが目的じゃない
で、池田センセがより学問的な正確さを求めて「マジレス」したと。
そういうアングルでしょうか?
「経済」という複雑怪奇、曖昧模糊としたモノを扱うわけですから、経済学のモデルなんて山ほどあって、どれも一長一短。条件次第でうまく当て嵌まったり嵌らなかったり、というのが実際のとこなんでしょう。学問的に誠実にあろうとすると前提条件で場合わけしまくらねばならず、ブログの一記事どころじゃすまない。
とはいえ、それらの中から敢えて一つをフィーチャーしてくる、というのならそこに何らかの意図はあって当然です。
単に好みなのかもしれませんけど、山形さんほどの「権威」ならそこに「動員」の意図があっても不思議ではありません。つまり、そのモデルに従って人々に動いて欲しい。
それは別にいいも悪いもなく、そういう文脈ってことなんですが。
ただちょっと気になるのは、山形さんの「動員」の方向。
経済学や社会学って、ただ分析するというよりは論者個々人が「理想の社会」みたいなものに向かいたがる傾向があって、私は「工学的」だなとかねがね思っているんですが、池田センセが攻撃したのは実は「不正確さ」ではなくその「動員の方向」なのかもなあ、と。
山形さんの表現だと、導かれる結論は
「とにかく仕事頑張れ。効率上げてGDP上げろ。さすれば救われる」
あるいは
「カリスマ(企業)にカネを集めてGDP上げれば皆幸せ」
みたいになっちゃいますよね。
以前からGDP、GDPとおっしゃっていたので多分そういう方向で間違いないと思うんですが、うーんどうでしょう。いまさらそんな動員かけても。
例えば私が研究の現場で感じるのは、日本の「生産性」を下げているのは個人の能力不足や怠け心ではなく、「チームワークの下手さ」です*1
同じ分野内でもそうですが、違う分野間はもっとひどいし、何より職種間の連携がダメダメ。
以前こういうエントリを書きましたが、例えば日本にAAASのような組織があったとして、それに対する協力は「仕事」ではありませんから「非効率」です。またこれからこういう組織を作ろうとするのだって当然「非効率」でしょう。
異分野の仲間とできるかどうかわからないような夢を語るのも「非効率」。
友人の名誉を守るため運動するのも「非効率」。
いろんな仲間とジャムセッションに興じるのも「非効率」。
家族でゆっくり食卓を囲むのも「非効率」。
寝たきりのおばあちゃんを介護するのも「非効率」。
こういうのは極端な話かもしれませんが、山形さんの「動員」は結局「短期の効率」しか求めていないようにも見えます。
まあ池田センセがどう考えたのかは窺い知れませんが、単純に「不正確だからダメ」ということではないのかもしれません。
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あとコレ分かりやすくてよいです。
限界原理って解り辛すぎるだろ常識的に考えて!(前編)

*1:チームワークってのは談合や仲良しクラブではなく、似たもの同士が寄り集まることでもありません。異質な者同士が機能的に連携し、シナジー効果を生み出すことです。