ネタにマジレスのススメ。

太田光が青臭い正論を吐く理由

この世界に入ってから、俺より下の世代の芸人のたけしイズムの解釈が“嘲笑”でしかないことを何度も戸惑ったし、ビートたけしの逆説が分らない若者の多さには本気で呆れている。
それはサブカルチャー論にも共通する。
いつの間にか、サブがメインにあり、カウンターで発言すべきサブカルチャーが正論の如く流通している。
昨今の太田光が、実にお笑いにあるまじき、まともな正論をぶつ論客となっているのも、本来のメインカルチャーの方が脆弱すぎて、立ち居地としては、正論をぶつ方が、むしろ異端であり、カウンターであるからだろう。

結局、誰も「ネタ」に「マジレス」しなくなった。できなくなった。それが「ネタ」本来の役割を殺している、と。
以前ネタだろ=空気嫁において「ネタかどうかなど相手の都合に過ぎない」と書いた私とfrom氏の間で

fromdusktildawn 『もちろんです。ビートたけしが毒舌を言うたびに、テレビ局に電話すべきです。ネタかベタかなんて相手の都合に過ぎないのですから。』 (2006/04/16 20:07)

# sivad 『そうですね。法に触れない範囲で自分の都合に応じてやればいいと思いますよ。』 (2006/04/17 02:19)

このような会話があったのですが、やっぱりネタだから、たけしだからといってマジレスしてはならないわけではない。むしろ、たけしはマジレスして欲しいのではないかと思います*1
誰もマジレスしてくれないから、自分でマジレスせざるを得なくなる。そして芸が捩れ始める。
ネタを育てるのはマジレスであり、高度化するネタの技法と同様、マジレスの力や技法*2も育てていかねばならない、ってことでしょうかね。

*1:まあ不毛なイデオロギー闘争になってしまうとアレですが。

*2:「マジレス力(りょく)」、と名づけよう。