「多様性を認める社会」と「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」は両立しない。説。

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20051118#p2
まあ論理的にはそうなりますね。
というか、同時に「多様性を認めない社会」と「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」も両立しません。
何故ならば、「幸福」を一義的に決定できないからです。逆に言うと、両立させるには「幸福」を誰かが一義的に決定し強制しなくてはならないわけです。
つまり「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」というもの自体が論理的には厳しいわけで、「できるだけ多くの人が幸福になる社会」ぐらいにしといたほうがいいんでしょうね。
そういえば昔から思ってたんですが、ベンサム「最大多数の最大幸福」というのも論理的にはムリですよね。
まあ便宜上「幸福」を定義できるとしても、可能なのは
「特定者の最大幸福」

「最大多数の幸福

ですな。