「オリジナリティー」という道具
せっかく内田先生の所でも触れてくださったので、簡単ながらオリジナリティだの何だのについて書いてみます。
ここんとこ「のまねこ」だの「漫画のトレース問題」だの「レポートの剽窃」だの、「オリジナリティー」に関するトラブルが絶えませんな。
まあこれだけ喧しいことになった要因はまず時流でしょうね。
「世界に一つだけ〜」とかいう教義の「個性神話」を植えつけられたところにコピーと流布を容易にする「IT技術」が炸裂し、「知財立国」とやらでエスタブリシュメントまでいきり立つ、という流れでしょうか。
そのせいかなんだか皆エキサイトしていて、いまにも「人権侵害だ!」とか騒ぎ出しそうな勢いです。
しかし、内田センセに言われるまでもなく、「オリジナリティー」という概念は未だ確立しているとは言いがたい、僕の印象では「暫定的な」権利です。
まず、「オリジナリティー」は原理的に「自然権」ではないことを認識すべきですな*1 *2。
つまり、いわゆる「人権」ではない。著作権にしろ、特許にしろ、論文の引用にしろ、もともとそれらはある集団内での「ルール」に過ぎないのです。
ですから、そのルールを適用しようとする時には、それが誰にどのような利益あるいは不利益をもたらすのか、ということを検討しなくてはなりません。ある勢力がそのような検討を避けようとするならば、そのルールは主に彼らを利する可能性が高いと考えられます。
「オリジナリティーという権利」は「道具」です。しかも結構強力で危険な。どう使うのがいいのか、きちんと考えて設定すべきだということですね。業界の中であれ、外であれ。
*1:勿論、ここは非常に議論の絶えないところではあります。