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復帰。
やはりK市の魚は旨いですね。あと「Vフォー・ヴェンデッタ」いいねぇ。。「リベリオン」も観たくなった。
「特攻隊」と「特攻させ隊」
そもそも大日本帝国海軍が特攻隊員に行ったのは、奇術でいうところの「フォース」、つまり「相手にこちらの思うとおりのカードを引かせる心理的トリック」であって、実のところ隊員たちに選択肢など存在していなかったともいえる。若者が強制的にババをひかされる姿がそんなに美しいかと。
まあ個人的には、過程はどうあれ、人のために自己犠牲を遂行する若者の姿に一種の美しさを感じるにやぶさかではありません(この場合は相手を殺すため、というのが引っかかりますが)。
ただ、「自己犠牲を行う若者」をコインの表とするならば、その裏には「自己犠牲を行わせる老人」が存在しています。
「(若者に)自己犠牲を行わせる老人」*1 *2。
こちらはどう見ても美しいとは思えません。というか醜い。
「特攻隊」の美しさを語るのなら、同時に「特攻させ隊」の醜さを語らねばなりません。
レイプ・痴漢の非対称性
自分も同じ目にあってみろ!
人を不愉快にさせるのを承知した上で問う、「なぜひとをレイプしてはいけないのか」
性暴力の犠牲になった女性の対称として、男性が女性にレイプ・痴漢されてもイヤじゃないなどという話をしばしば見かけます。
思うに、これは性暴力の「異性性」を過度に評価しているのではないでしょうか。
実際に苦痛や恐怖を感じるのは、「異性性」に対してではないと思います。
恐らく
- 自分より強く大きい者に
- 抵抗力を奪われて
- 性的な暴力を受ける(ペニスを挿入される、など)
ことが苦痛や恐怖の源泉なのでしょうから、例えば男性がレイプの恐怖を想像しようとするならば、「痴女に襲われる」のではなく、「屈強な男性に犯される」ことを考えるのが「対称」としては妥当といえるでしょう。
関連:ヘテロ男子がおびえるとき。
大学院改革は「ゆとり教育」の二の轍を踏むか?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060430i101.htm
大学院教育の充実に向け、文部科学省は今年度から、大学院生や若手研究者が教授の労働力とみなされる“徒弟制度”の一掃を目指すなど、抜本的な改革に乗り出すことを決めた。
個人的には、20年遅かったと思います。
いや、コンセプトは毎度結構なんですけどね。それを実現するヒトとカネをちゃんと持ってこれるのか、という問題ですよ。
何故教育が疎かになり、助手や院生に大量の雑用や事務が回されるのか。
それは急激に肥大化した大学院の事務や雑用を行うスタッフやシステムが足りないからです。
もちろん、教員の教育能力自体まともに開発されていないことも問題です。しかしいずれにしろ、現時点で圧倒的に「資源」が不足しているのです。
20年前ならいざ知らず、今の大学に独自でこれらの資源を調達する能力はないでしょう。従って、国が腹を括って資源を投入するしかありません。ゆとり教育の時のように中途半端なことをして、今度は高等教育まで崩壊させることがないように祈りたいですね*1。
*1:個人的には以前から書いているように定員削減がまず必要だと思いますが