ウマ、ヒツジ、ライオン、インパラの問題
“Bombers”の訳語から見える立ち位置
まず、村上春樹@エルサレムに関するわたしのとらえ方はこちらに書いてあることを基本としてください。
私は氏を偉大な文芸家だと思っていますが、政治的思想的な期待は持っていません。美しい文章を書くことのみをもって尊敬しています。
もちろん政治や思想にも優れた作家はいると思いますが、村上春樹をそういうタイプだとは思っていません。マイルス・デイビスではなくスタン・ゲッツといったとこでしょうか。
したがって、Bombersを「爆弾兵」と解釈したから村上は最悪だ、とは思いません。村上的だ、とは思いますが。
その上で。
Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells.
ですが、4つの要素を並べていますね。
まず気になるのは”rockets”です。
mojimojiさんもおっしゃるように、これにハマスのロケット攻撃を見ないというのはさすがに無理がある。誰だってそう感じる。イスラエル人もそう感じるでしょう。ハマスの、とは書いていませんが、明らかにそれを指し示していると解釈してよい。
とすると、主義や立ち位置以前に、文章表現としてやや不自然であることに気づきます。
3つ目だけがハマスの例なのか?
4つの例を並べる時、3つ目にだけ異なる要素を置く、ということは普通やりません。
一つだけ違う場合、
ここには沢山の動物がいます。たとえば、ウマ、ヒツジ、ライオン、インパラ。
ではなく、
ウマ、ヒツジ、インパラ、そしてライオン。
とやります。英語ならなおさら、こういった配置には敏感なはずです。ましてや翻訳家としても熟達した村上春樹です。
ではなぜ3つ目がハマスなのか。
ここで”Bombers”を見ます。
これをハマス側の爆弾兵として見るとどうなるか?*1
爆弾兵、戦車、ロケット弾、白リン弾。
みごと、「爆弾兵-戦車 Bombers and tanks」 / 「ロケット弾-白リン弾 rockets and white phosphorus shells」という対になっていることが分かります。これなら、非常に英語らしい等位構造というか対称性が出てきます。
つまり
オオカミ、ヒツジ、ライオン、インパラ。
だったわけです。
しかも、これはうがち過ぎかもしれませんが、「ハマス−イスラエル」の順となっている。これは氏の絶妙なバランス感覚のなせるわざだと思います。
もちろん村上春樹の文章は多義性があることそのものが持ち味なわけで、mojimojiさんがmoijmojiさんのように解釈するのもよいでしょう。
ただBombersに関しては、このような理由から私は爆弾兵とした方が文章解釈として妥当ではないかなと思います。
追記:
mojimojiさんからさらにご意見をいただきましたが、ちょっとピンとこない。
交互に出すとか最後に落とすとか、そういう形だけじゃなくて、意味って大事だと思うんですよ。
確かに意味は大事ですけど、意味や印象というのは文章の形式、表現、構造から出てくるものですよね。特に小説なんてそういったノウハウの塊です。
ただ、私は村上が文の均整を重視すると考えて基本的に「爆弾兵」を取りますが、「爆撃機」とでも取れるように書いている可能性は高いでしょう。そこが村上式多義性です。確か共同通信かどこかでは最初「爆弾」と訳していたようですが、もしかするとこの多義的なニュアンスを出そうとしたのかもしれません。
もちろん、この多義性そのものを批判することは可能です。リアルな現実を曖昧で心地よいファンタジーでくるんでしまったともいえます。一方で、パレスチナ-イスラエル問題を周知した効果は確かにあったはずです。プラスとマイナス、どちらが大きいか、という評価は今のところ不可能ですし、個人的にはプラマイゼロに感じます。
で、先日のような感想になるわけです。