フラット化は局所ルールを破壊する

「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。

問題だけどたいして問題じゃないこと、悪いことだけどたいして悪くないこと、が、世の中にはたくさんある。そしてそれらは、コッソリ行なわれなければならない。

もちろん、いくら「コッソリ」見つからないからといって、何でもやっていいということにはなりません。グレーの領域には、グレーの領域なりの「ルール」があるわけです。「仁義」だとか「面子」だとか呼ばれることもある例のやつですよ。

別にグレーの領域に限りません。世の中一つのルールで全部治められるほど単純じゃない。それなら大工の息子とか家出した王子とかがとっくに世界を統一していることでしょう。
ただ人間がスゴイのは、そういう世界の多様性をうまく利用して価値に変えてきたこと。
民主主義、市場、科学。
これらは人間や世界が多様であることを前提とした集団知システム。世の中の凸凹を力に変えるエンジンなのです。もしエージェントスミスよろしく誰もが同じことを考え、同じことをやるとすれば、これらの仕組みは全て成立しないのです。
そしていわゆる「フラット化」という現象は、望む望まないに関わらずこの凸凹をブルドーザーのように文字通り「平坦化」します。

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(上)

局所局所に最適化されたルールは粉砕され、一律のルールを押し付ける強力な圧力が生じるのです。
もちろん、局所に最適化されたルールというのは部分最適であって、必ずしも全体最適ではない。ですからフラット化によって全体に対する視点が生まれること自体は悪いことではありません。
しかし同時に、「一律のルール」が全体最適を意味しないことも確かです。
抗がん剤をあげるまでもなく、あらゆる薬には副作用があります。
薬剤は病変部分の状態を最適化・治療することはできますが、それ以外の部分では最悪、毒として働くこともある。目的の部分にだけ薬を届けるドラッグ・デリバリー・システムが注目を浴びているのはそのためです。
今必要なのは、単にフラット化に追従することでもなく、従来の局所解を死守することでもない。
心臓には心臓の、脳には脳の、消化管には消化管の解がありつつも、それらを全身としてうまく機能させなくてはならない。
全体と部分を調和させるための新たな局所解を生み出すシステムが必要なのです。
以前から書いているように、私個人としてはそれは新しい形の共同体や社会団体、ネットワークにあるのではないかと思っています。別の解があるのかもしれませんが、今のところはドラッカーやトフラーも指摘しているこの方法が一番マシに感じています。
このままブルドーザーに更地にされてしまうか、あるいは古い因習に凝り固まった荒地が残るか。
どちらもあまりゾッとしない選択ですよね。
受賞で初めて知ったコレ、「どげんかせんといかん」ってやつですな。スイーツ(賞)。

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