右翼だから・左翼だから

marcoさんからTBが来ていたが、ちょっと意図がよく分からない。
個別の問題には関心があるものもありますが、ウヨやサヨといった趣味的な話題には正直あまりついていけません。
ただ一つ気になることはあって、まあ単なる言葉尻の問題かもしれないのですが、
「私は右翼/左翼だから〜である」
という言い方ですね。
これが例えば「医者だから・法曹だから・ピアニストだから・原子力技術者だから、〜である」
ならよく分かるんです。そういう専門的な知識や技能に基づけば、こういう判断になりますよ、ということですから。
でも右翼や左翼ってのは特定の専門知識や技能じゃありませんよね。飽くまでも個別のイシューがあって、ある人のそれらに対する判断を見て、外部がその人をカテゴライズするものでしょう。
もちろん自分の意見を客観的に見て、どちらかというと右だ、左だ、という判断はできると思います。
例えば私は分配・自由・文化の各視点から総合すれば「左寄り」でしょう。必ずしも護憲派ではありませんが。
しかし「左だから」という自己カテゴライズに基づいて個別の問題を判断することはしないと思います。それは本末転倒に思える。
いや、単に言葉のあやかもしれないんですけどね。
それとmarcoさんとこに引用してあったついったについて簡単に。
ウヨだろうとサヨだろうとその他だろうと話が通じない人・場合というのはあるものです。
ただ、「影響力の武器」にあるコントラストの法則によれば、人間の感情は「落差」に大きく揺さぶられます。
赤木さんの議論などを見ても感じるのですが、話の通じないウヨクはスルーされますが、サヨクの場合は憎悪に近い感情を産むようです。
これは結局、期待からの落差がより大きいからではないかと思います。この場合まず必要なのはそういう感情のメカニズムを理解することであって、サヨクの「理」を説いてもあまり効果はないのだろうな、と感じます。