地震は人間に肉体と社会を思い出させる

被災地の皆さんの、速やかな生活の回復を願っています。
他人事ではなく、私の居住地域もつい先日地震があったばかり。震度5程度で幸い大事はありませんでした。
ネットを漂っていると、あたかも自分が情報で出来ているかのような感覚になってくるし、情報を操れば何でも出来てしまうかのような錯覚に陥ってしまいます。
でも結局情報の世界というのは磐石で安定な物質的、社会的基盤の上に成り立っているもので、普段は変化の遅いそれらを意識しないだけ。
地震の一撃は、磐石なハズのそれら「肉体」と「社会」を文字通り「揺さぶる」。
「世界を変える」なんて煽り文句がどれだけ飛び交おうと、地盤の身震い一つ止められないのが人間だし、肩を寄せ合っておにぎりを食べるのもまた人間。
原発にしてもそうですが、「コントロールを越えた存在」としての自然や人間というのをもっと意識しなくてはならないように思います。
世界をコントロールする方法としての抽象化、すなわち科学や情報は、飽くまでも世界の「部分」を切り取ることしかできません。
たとえ部分であれ、人間が世界を理解できること自体モノスゴイことだと思うのですが、自然ってのはもっとモノスゴイのです。
ID論の擁護で、「生命は想像を絶するほどうまくできているので、神がいるとしか思えない」てな感じのがよくあります。一見謙虚に見えますが、私に言わせれば傲慢な意見です。
自然が人間の想像を絶するのは当然でしょう。
それでも巨山に杭を当てるかのように少しずつ掘り進む。
そこに高速道路などないのです。