アランのオプティミズムは「人間賛歌」に他ならない

先日の梅田さん界隈の議論の発端はどうも悲観主義とオプティミズムにあるっぽいので、近所の図書館にあったアラン幸福論 (集英社文庫)をなんとなく読み直してみました。
で、この辺にも抜粋があるのですが、梅田さんの解釈とはちょっと雰囲気が違うような気がします。
確かにアランは「上機嫌」を勧め、悲観的な感情はなんの役にも立たないと喝破します。

すべての不運や、つまらぬ物事に対して、上機嫌にふるまうことである。上機嫌の波はあなたの周囲にひろがり、あらゆる物事を、あなた自身をも、軽やかにするだろう。

しかしそれはネガティブな事実や意見を無視しろ、という意味ではなく、逆に冷静に現実を見据えるためにこそ、恐怖や怒りといった感情をコントロールしなければならない、ということなのです。
アランは「楽観」と同様、「知る」ということの重要性も強調します。

大げさな言葉はやめて、事柄を理解しようとつとめることだ。

知るとは、どんなささいな物事でも、どのように全体に結びついているかを理解することだ。

つまり、

巨大な敵に立ち向かうノミ………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
ノミどものは『勇気』と呼べんなあ
それではジョジョ!『勇気』とはいったい何か!?
『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖』を我が物とすることじゃあッ!
呼吸を乱すのは『恐怖』! だが『恐怖』を支配した時!
呼吸は規則正しくみだれないッ!波紋法の呼吸は勇気の産物!!
人間賛歌は『勇気』の賛歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
いくら強くてもこいつら屍生人は『勇気』を知らん! ノミと同類よォーッ!

ジョジョの奇妙な冒険第一部におけるツェペリ男爵の言葉。
これこそアランのいうところの「楽観主義」なのではないかと思います。
褒めることもオプティミズムも大事なのですが、それは決して物事の「いいところ」だけをみることではない。
むしろ、ネガティブな事実を冷静に見据え、それを意志と工夫によって合理的に切り開いていくことこそが真のオプティミズムだといえるのではないでしょうか。


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