「科学としての経済学」のトリセツ

日本が不完全競争?
そうかもしれません。
じゃあアメリカは完全競争なの? ヨーロッパは? アジアは?
実は全て、不完全競争です。
そりゃあそうだ。だって完全競争とは

  • 原子性。市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。特に全てのプレイヤーがプライス・テイカーでなければならないことに注意。
  • 均一性。すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。
  • 完全情報。全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。
  • 平等なアクセス。全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。
  • 自由な参入。全てのプレイヤーが市場に自由に参入・退出できる。

こういうところのことなんですから*1
あり得ない
じゃあ経済学なんて無意味かというと、そうでもないのです。
どんな科学分野も、この世に存在しない「系」、あるいはかなり不自然な「系」を大なり小なり使っています。
質点は?
理想気体は?
この世に存在しません。
粒子加速器はもちろん、培養細胞だって自然界には存在しません。
科学の第一ステップは「単純モデル化」「理想化」ですので、基礎と呼ばれる分野ではまず、あえてこういった「不自然な系」を使うのです。
そしてそういったモデルについて精緻化した後に、やっと現実世界への適用が始まる。
先日は経済学は実験できないと書きましたが、実際はそうでもありません。条件に当てはまる集団を無理やり作ってやれば、一応は可能です。例えばゲーム理論も経済学の一種ですが、そのモデルはまさに「ゲーム」という形でいろいろと「実証」されていますよね。
問題なのは、経済学の議論になるとなぜかモデルと現実を一緒くたに語ろうとする人が多いということ。
モデルというのは基本的に閉鎖系で議論するんだけれど、現実世界はバリバリの開放系というか、なんでもありです。現実の経済においては、それこそ「風が吹けば桶屋が儲かる」といった具合に、あらゆる事象が影響しあっているでしょう。そんな混沌の中で、「完全競争的」に振舞う部分があったり、イノベーションで全てがひっくり返ったり、もう百花繚乱なわけですよ。
あるモデルは現実のある局面では正しいし、ある局面ではうまく働かない。つまり「現実のこういう部分に関してはこういうモデルによる解釈が可能ですよ」、というべきだと思うのだけど、どうしてか専門家達ですら
「現実はこうなっている!(ドギャーン)」
と語ってしまう。
これは先日も書いたように、モデルによって人々を動かそうとする経済学の「政治性」と関係が深いのではないかと思いますが、これをやっている限り議論は精緻化しないんじゃないでしょうか。
確かに、そう言い切った方が「歯切れは良くなる」し、「なんか論争は起きる」。
しかしこういうコミュニケーションでほんとに経済学が世の中に貢献できるのか私はちょっと疑問です。
山形さんも池田さんも恐らくよかれと思って、「こういうモデルに従えば世の中良くなる」、と考えてやっているのだと思いますが、そろそろこういう「動員型経済論」はやめた方がいいのではないでしょうか。結局今回の論争?も経済に対する理解を深めるというより、経済学に対する疑念を増す効果が大きかったような気がしますしね。
とまあ、同じくカオティックな現実と対峙する生物屋が思ったりしましたとさ*2
追記
池田センセのとこのコメントに

輸入不可能なものに関するウェイトを極度に高くとって議論しているのが山形氏。
輸入不可能なものに関するウェイトを極度に低くとって議論しているのが池田氏

とあるのだけれど、基本的にはそういうことだと思います。そして、それぞれのモデルにはそれぞれの適用範囲や条件があるというだけのこと。しいて言えば、経済「学」の基本としては完全競争を想定する池田さんのモデルが正しいのかもしれません。ただ実際の経済では未だ定量化できていない様々な要因が絡み合っているし、その程度も条件次第なのです。まだまだ発展途上の学問ということですね。
参照:
クイズ:経済学者3人にきいてみました。
山形・池田「生産性論争」への今頃のコメント
山形浩生氏へ

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%AB%B6%E4%BA%89

*2:実際のところ、生命科学でもこういうことは良くある。例えばガンの発生メカニズムには諸説あってそれぞれの研究者は自説を強調するんだけど、実際はそれらの複合メカニズム。脳科学とかも一緒。