空気を読むとき読まぬとき

空気・コミュニケーションに関する議論が各所で再燃しつつあるようです。
まあ、結局は何を目的とするか、ってことになると思います。
前回述べたように、「空気嫁型コミュニケーション」では集団知は発動しないわけですが、別に四六時中集団知が必要なわけでもありません。
集団知
「関連領域が広く、かつ明確な答えが未だ得られていない問題・課題」
について考える際に威力を発揮します。つまり、市場、民主制、アカデミズムなどがうまく機能するために特に重要な概念といえるでしょう。
逆に言えば
「狭い領域で、やるべきことが予め決まっており、新たな判断を必要としない場合」
には「空気嫁型」の方が効率よくコトを進められるでしょう。軍隊などはその典型でしょうね。
つまり、どういう集団であるべきか、ありたいか、によって「集団知型」か「空気嫁型」かを使い分ける必要があるということです。