反証可能性と科学的仮説について

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20060319#p2
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060320/1142870425
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060414/1144981228
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060416/1145168655
あまり絡みたくはないのですがどうもブクマがされているようですので、もう一度言及します。id:khideakiさんが誤解するのは止められませんが、それが広まるのは困り者ですので。
khideakiさんの初歩的な誤りは、

  • 「ある仮説が科学的な方法で記述されているか」

ということと、

  • 「その仮説の内容が(科学・実証的に)正しい・妥当か」

ということとを区別できていないことです。
反証可能性が必要とされるのは、まず前者においてなのですよ。それが「仮説の反証可能性を検討する」ということです。ある命題・仮説を「科学的」*1というために不可欠な最初のステップなのです。
簡単に説明するならば、ある仮説・命題が科学的に記述される、少なくとも反証可能性を持つ、ということは、

  1. 用語の定義づけが十分に明確になされていること
  2. 論理的であること
  3. トートロジーや、常に正しいと解釈できるものでないこと

などが挙げられます。
例えば
「生命は知性によって創られた」
という仮説は、「知性」の定義づけが明確でなく、従って解釈次第でどうとでも受け取れてしまう点で科学的とはいえません。
こんなのもあります。
「全ての人が行っていることを労働と定義すれば、労働しない人間はいない」
無内容なトートロジーであり、やはり科学的仮説とはいえませんね。
ではこれはどうでしょう。
「生きた人間は霊魂を持っている」
うーん。「霊魂」の定義次第というところでしょう。ここで単に宗教的なイメージしか提出されないようならば、科学的仮説とはいえないでしょう。
しかし例えば、
「その人間の情報を持ち、死後に身体から遊離する何らかの物質のことを霊魂と定義する」
と前もって宣言されていたならば、十分ではないにせよ科学的仮説の体裁は整うでしょう。例えば「遺伝子」なども、その実体=染色体=DNAが発見されるまでは似たような捉え方をされていました。「遺伝情報を持ち、親から子へ受け継がれる何らかの物質」みたいに。
もちろん、仮説の内容が実証的に正しいかどうかはまた別の問題です。この場合ならば、例えばできるだけ完全な閉鎖系に臨終の方にいてもらい、生前、死の瞬間、死後の系の変化を徹底比較する、などの実験を繰り返す必要があるでしょうね。
もちろん、全ての言説が科学的である必要はありません。科学的でない文章でも何かを伝えることはできますし、何らかの効用を持っています。ただ、科学的でないものを科学的に見せかけるのは詐欺行為ですし、科学者としては看過すべきでないでしょう。
こういう観点から、内田樹の言説は科学的に捉えられる代物ではありませんし、その必要もないかと思います。そのレトリックで表現したいことを推測するしかなく、その結果、彼の主張、表現は不適当だ、と僕は判断するわけです。
で、khideakiさんに関しては、内田樹の言説*2にあたかも学術的価値があるかのように語るのはよくないなあ、と思っているわけです*3。まあもしかすると「弁証法」ならAと非Aを統合できるからイイのだ、ということかもしれませんが、Aと非Aを統合したものをAとするのは流石に詐欺じゃないですかね*4
あとは、科学についての認識の違いもあるのでしょう。仮説によって実験や観測の結果が予測可能であることは極めて重要ですが、基本的に科学的仮説というものは抽象化されたモデルであり*5、100%の予測ができるものではありません。現実の実験や観測では誤差が付き物なのです。khideakiさんは任意性という言葉を繰り返しているところから、恐らく数学のような一意性を求めているのだと思いますが、形而下の世界ではそれは不可能なのです。では、どうやって仮説の正しさが受け入れられていくのか。
そのために統計学があり、アカデミズムがあるのです。どの程度の誤差なら許容すべきか?どのくらいの再現性があれば信頼できるか? 大勢が関わり、長い時間をかけて練り上げていくものなのです。
科学は極めて泥臭い営みなのですよ。
ま、そんなとこで。

*1:「科学的に正しい」ではない。正しい正しくない以前に、そもそも科学的実証の俎上に乗ることが可能かどうかがここでチェックされるのです。

*2:特に現実・社会に関する

*3:http://esu.oresama.org/200502c.html#20050226_s1

*4:これなら何だっていえてしまう

*5:つまり、科学は仮説である、というのはここに由来するのです。科学は現実を描写しきることはない。しかし、それぞれの仮説の信頼性には大きな違いがあるのです。