哲学者のエートスの死滅

http://blog.tatsuru.com/archives/001419.php
を分かりやすく示してくれる文章です。
ロジックもエヴィデンスも薄弱な上、対策や向うべきビジョンを捻り出す思考の強靭さもない。
煽って投げ出して売れれば万歳。
日本社会の「エートス」の根幹を担う「哲学者」がこの体たらくでは、どうしようもないですな。
何しろエートスとは、基本的には環境が生み出す行動様式です*1。良心とはあまり関係ありません。例えば、しっかりした基礎がなくても見栄えが良ければ是とされる環境に置かれれば、そういう「エートス」が生まれるのです。
そして、そういう「環境」の礎となるのが教育であり、哲学なんですがね。
ここにもう一つ、あまりにも分かりやすい例があります。
http://blog.tatsuru.com/archives/001425.php

採点基準を明らかにすると、私が重視するのは、「コミュニケーション感度」である。
こちらのモード変換にどれくらいすばやく反応するか、その反応速度でだいたい点数が決まる。
私の出す質問や脱線する無駄話の内容だけでなく、こちらの話し声のピッチやトーンや姿勢やテンションの変化といったシグナルを「どう読んだか」ということを見るのである。
コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。

こういう教育をしていれば、当然それに応じたエートスが生まれるわけです。 「こだわりやプライドを持たず、人の顔色を伺う」行動様式ですな。内田センセにとってはそれが「コミュニケーション」だそうですが。。
センセのお好きな「職人エートス」をぶち壊しているのは他ならぬセンセイご自身なのですよ。