『超級女声』と集団知

JMM No.337「娯楽か、民主か?」(ふるまいよしこ)
に、中国で「超級女声」なるアイドル発掘番組が大ブレイクし、携帯やネットを通じた大規模な投票活動を通じて一種の「民主(主義)」のようなモノが生じ、大議論を巻き起こしている旨がありました。
で、essaさんのエントリhttp://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050901#p06を読んで、なんだかシンクロしているなあ、と感じました。id:jounoさんと「集団知」に関する議論を続けておられるんですが、多分今議論されている部分では大きな違いは見つからないでしょう。
結局、先日essaさんが集団知について書かれた文章http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050822#p02の中で最もひっかかるのは、

そうなると、私には小泉さんを賛成する理由しか残りません。

この部分なわけですよ。
で、これにちょうど対応する意見が上記JMM記事にあったんです。

投票自体は民主ではなく、民主の段階の一つでしかない。本当の民主主義は投票以外に透明な手順、平等な権利、自由な討論、反対分子に対する尊重と、一切の個人意思を超えた公平な規則が必要なのだ。その一切のすべてこそが『超級女声』民主に欠けている。
いわゆる『超級女声』民主とは、一種の人民主義型の民主でしかない。歴史によってすでに証明され、そして今後も引き続き証明され続けるように、人民主義型民主は権力意図を隠すための掩護でしかないのである。

社会学者、許紀霖氏の言だそうです。
僕もちょうどhttp://d.hatena.ne.jp/sivad/comment?date=20050822#cで書いたことなので、この点もシンクロですね。
付け加えると、真の民主主義=集団知が機能するには、まず「情報公開」が不可欠です。政治的にはこれは「説明責任」にあたるのですが、小泉さんはアジテーションには優れていても、説明が無い。大衆が愚かとかそういう問題ではなく、集団知が機能する前提が損なわれているわけです。
従って、「集団知」を重視するということは、小泉さんに賛成する理由にはなりえないように思います。
追記
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050906 で、当エントリに関する記事が追加されているようです。
うーん、印象ですけど、essaさんの中で「小泉さん不支持=朝日新聞支持」になっているような。。僕はどちらも支持しませんので。