Google先生 vs 大学教員

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050830/report
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/08/report_4b17.html

うーん。「レポートコピペする大学生は何のために大学行ってるんだろうか?」って、すごい今更感がありませんか?
大学進学者の大半が学歴と就職とキャンパスライフ目的だってのはもう20年来の常識なんじゃないでしょうか。大学の学問を究めても素晴らしい人間になったり、金持ちになったり、社会を変革できるわけではない、ということは大学の先生方を見れば一目瞭然になっちゃってるわけです。
変わったのは、文章の切り貼りが数秒でできるようになったことですか。まあもちろん、時間をかけて切り貼りすれば少しは頭に入るかもしれませんけど、そんなものを教員の皆さんは求めてたんでしょうか? 小学校の文写しじゃあるまいし。

ブラウザの印刷機能を使って、ボタンとかまで印刷されたものを出してくる人もいるんですって(実話)。ちなみに、ネット上にある私の文章を印刷して、私に対してレポートとして提出した人もいます(これも実話)。著者名を見なかったのか?あるいは教師の名前を知らなかったのか?

なんて話も出てますけど、教員の人、学生を笑ってる場合じゃないですよ。これは「あんたの出した問題なんぞGoogle先生にかかれば0.3秒だ」といわれてるに等しいんですから。
大体、大学の、アカデミシャンの本来の目的の一つは知の共有ですよね。この観点からすれば、Google先生は正に学問の神様なわけです。Googleを否定するのは大学を否定するのと変わらない。問題はGoogleによって暴かれただけで、大学の中にずっと巣食っていたわけです。
問われているのは、むしろ教員の「問う能力」なのですよ。
Google先生はてな先生によって知識の共有という一つの理想が実現されつつあるのです。知の開拓者を自負するなら、「次」を問うべきでしょう。それができないなら、今世紀の大学教員は務まらないと思ったほうがいい。