大学院はてな:教授-院生間の関係

は既に変容しています。ギブアンドテイク関係の崩壊。一種の市場原理に従って、教授の丁稚になるインセンティブは失われているのです。
http://d.hatena.ne.jp/urouro360/20050728#voより、長いのですが非常によい文章なので引用させていただきます。

研究者業界というのはもともと徒弟制の雰囲気が色濃くあった。しかし最近、自分の見かける範囲では学生を無給で使うことはできるだけ避けられている。理由は簡単で、ギブアンドテイクが成立しにくくなったからだ。大学院重点化の結果、院生といっても研究で身を立てようとする学生ばかりではないし、そういう学生がいたとしても先生が押し込んでくれるポストというのがほぼなくなってしまったのである(非常勤や期限付きには少し残っているけれど)。

ここにある素晴らしいカリスマ先生がいるとしよう。この先生はこの種のことに非常に思慮が足りない人で、“勉強になるから”といっては学生にテープ起こしやら資料収集やらの雑用をさせている。で、それが多くの学生に非常に評判が悪く、心酔して自ら身を捧げた学生ですら数ヶ月後になると先生のいない隙を見計らって研究室に来る始末。割り切れて諦められる人間ならいいが、割り切れない人間は周囲に愚痴をこぼしまくるし、割り切れても諦められない人間は与えられる仕事に振り回されて自分のペースを見失っている。

そういう社会を見ると残念でたまらない。素晴らしい先生の元に素晴らしい学生が集まって、新たな知のフロンティアが拓かれるかと思いきや、学生は脱出の相談に忙しく、先生は変わらず強引に進んでいる。なんだこれは。もちろん学問は純粋なもので、本来人間関係やなんかと関係のないものだ。しかし、こういう研究室の雰囲気はあきらかに生産性を下げている。くつろいだ議論など行われるはずもない。ほんの少し、その先生に学生のことを慮る余裕があれば、こんなふうにならずにすむのに。大学または学生という特殊な存在についての思慮が足りないと言わざるを得ない。これが有給で序列のある研究者チームなら、ボスがなにをしようとテーマは進む。けれども大学はそういうところではないし、学生は部下ではない。あんな立派な先生なのになぜそれがわからないのか。彼らは先生と同じ思いを持っているわけでないし、そもそも先生の時代とはちがうんですよ、ということなのだが。素晴らしい研究成果というのはだから、高い生産性を維持できる環境をプロデュースできるかどうかの手腕にかかるのだと最近よく思う。学生を疲弊させている某先生には、立ち止まって考えてほしいものだ。

ただしこういうのは教室だけの問題ではなくて、大学運営の問題でもあります。理系だとテクニシャンや、ラボメンテナンスの人材が不足かつ低待遇で、足腰から弱ってきている感じ。おっしゃるように「高い生産性を維持できる環境をプロデュースできるかどうか」で、今後日本の科学・学問水準が決まってくるといえるでしょう。
あと、制度的な変化もあるけれど、学問自体の位置づけのようなものも変化して行きますしね。ボスの時代には熱気に満ち溢れたテーマであっても、今はそうではない、とか。サイエンティフィックに最も重要な問題はほとんど終わっていて、後は補強と社会還元が課題だ、とか。
ぶっちゃけた話、バイオ分野ではもうサイエンティフィックには「ワトソン・クリック」以上の発見はあり得ないわけです。
そんな中、いかに騙すことなく効果的にモチベーションを上げられるか。ロマンを伝える、としても、ボスの時代のロマンはもはや通用しないことが多いわけで。新たなロマンをどう提示するのか。あるいはロマンではなくクールな実利を出していくのか。そういった戦略が必要な段階にきた、ということですね。