「向いている」ということ

去年も似たような時期に似たような事を書いていたhttp://d.hatena.ne.jp/sivad/20040623ような気がしますが、なんかそういう気分なので再び。
例えば今僕のいるフィールドでいえば、「研究に向いている」ことと「(今の)研究業界に向いている」ということは似て非なるモノです。両方に向いている人ばかりなら問題ないのでしょうけど、実際はなかなかそううまくは行きません。
特にもったいないと思うのが、「研究」には向いているけれど「研究業界」に向いていない方々。明らかにサイエンスにとって本質的でない理由によって有能な人々が去っていった例を何件か知っています。
「研究業界」は「研究」のためにあるわけですから、本来ならばより「研究」にとって本質的な要素を重視するように「業界」を変えていく必要があるわけですが、実際は「業界」の何だか分からないルールに「研究」が縛られる形になっているように思います。
ただまあこれも無理からぬことで、民主国家の日本で民主制とは何か、ということをしっかり教わることがないように、なんと日本の研究者は「科学・サイエンスとは何か」ということをきちんと教わることがありません。従って、業界の慣習=サイエンスとなってしまうのです。西欧のように連綿たるサイエンスの歴史があるならばそれもまた可かもしれませんが、歴史も連続性もない日本ではそれは無茶な話です。
科学史、科学哲学の方々にはそういう意味でもっともっと頑張って欲しいのですがねぇ。。