専門馬鹿論1

さて、前エントリで空飛ぶ教授先生とひとしきり議論になったこの話題。
「理系は専門馬鹿が多い」には客観的根拠がない、むしろ客観的根拠がないことをいう方が愚かだ、ということだったと思いますが、果たしてこれで終わりでしょうか?万事解決?
僕にはそうは思えません。
「理系に専門馬鹿が多い」を支持する、サイエンスに耐えうるデータは確かに存在しません。そりゃそうです。そんなものを研究している科学者は(多分)いませんから。では、サイエンティフィックなデータのないことは言ってはいけないのか、というとそんなことはありません。
空飛ぶ教授先生ご自身も

専門馬鹿」に関して言えば、私は大いに結構だと思う。何かひとつのテーマについて、「専門馬鹿」になれない人は、決してプロにはなれない。ひとつのテーマについて究めた経験がある人なら、究めるということが、どれだけ大変な努力を必要とするかがわかっている。だから、軽々しく他の専門分野に手を出さない。道を究めるとは、そういうことだ。一見無関心に見えるかもしれないが、それだけ自分の専門に責任感を感じているのである。
理系だろうが文系だろうが、科学者だろうが芸術家だろうが、あるいはまた、棋士だろうがスポーツ選手だろうが、道を究めた人なら、同じことを言うだろう。

とおっしゃってますが、これだって客観的根拠はないわけです。にもかかわらず、確かにこういうことをおっしゃる研究者は多い。多いからある程度真実だろう、ということが成り立つなら、「理系は専門馬鹿が多い」ということもある程度真実かもしれないわけです(ちなみに、芸術家やスポーツ選手や棋士には当てはまるかもしれませんが、起業家やビジネスマンに当てはまるかは疑問です。科学者がどちらに近いのか?どちらに近くあるべきか?は「人と立場による」と思います。)。
つまり、客観的根拠ではなく、主観的印象が重要な場合もあるということです。ここが理系が大きく勘違いしているところで、いかに面接で「理系の知識が狭いとはいえない」ことを立証しても、面接官が「専門馬鹿だなぁ」と感じたらペケなわけです(余談ですがこの辺、恋愛にもにてますね。理系恋愛論にも読み替え可能かも?)。
すなわち問題を解決するには、何故「理系は専門馬鹿が多い」と世間に受け取られるのか、をまず検証しなければならないのです。

では、何故そういう印象を与えるのか。
については次回。お楽しみに。