危険な性淘汰スパイラル

アダムの呪い (ヴィレッジブックス)

アダムの呪い (ヴィレッジブックス)

を読んでます。
ふ〜む。。遺伝子の擬人化表現がやや鼻につく感じかな。あと淘汰は染色体単位で働くわけでもないんですよね。ただ面白く読ませようという工夫は確かに凄いです。僕なんかは実験の様子などを延々書かれるとタルいところもありますが、映画的表現といえないこともないです。ルーツ探索ものは横溝正史かはたまたトンデモミステリか、ってな感じですが、好きな人にはたまらないでしょうね。
個人的には、性淘汰の恐ろしさを再認識。性淘汰スパイラルは一度回り出すと、クラッシュするまで止まらない、というのには同意します。
ここからは僕の意見も混ざりますが、有性生殖においては、性淘汰は自然淘汰より遥かに強力な推進力となります。なぜならば、性淘汰はほぼゼロサムゲームなのです。自然淘汰においては、明確な「最適者」というものが存在しませんし、ある条件において劣っていたとしても、環境を変えることで生き残れます。しかし異性、特にメスの争奪戦に関しては明確な勝者と敗者が生まれ、また場合によっては「一人勝ち」もあり得るのです。
性淘汰においては「異性に選ばれること(あるいは得ること)」自体が目的となり、それは「個体の生存」とは必ずしも一致しません。メスまたはオスの「好み」に、何かのきっかけである「傾向」が生じたとします。するとその「好みの傾向」はたとえ個体の生存に不利であっても、代を重ねるごとにどんどん強化され、集団に広まっていくのです。何故ならば、そういう「好みの傾向」を持った者しか子孫を残せず、より強い傾向を持った者がより多くの子孫を残すようになるからです。
有名な例としてはクジャク(オス)の尾羽ですね。ある時メスに「やや目立つ尾羽を持ったオスを好む傾向」が生じる。すると、たとえ敵に見つかるリスクが増えようが、オスはより目立つ尾羽を持つしかない。でなければ子孫が残せないのですから。そしてあのように無駄に派手な尾羽が生まれるわけです。
このように、性的な「好みの傾向」は子孫に直接結びつき、かつ一方向性のため強化フィードバックも早く、あっという間に定着します。そして、それが「個体の生存」を脅かし、自然淘汰に抵触するようになるまでエスカレートするのです。恐ろしいことに、その頃には性淘汰に不利な個体はほとんど残っていない可能性もあるのです。
こうしてみると、結婚制度というのは性淘汰を抑制するよいメカニズムだったのかもしれません。逆に現在の恋愛自由市場化は、かなりの勢いで性淘汰を加速させているように見えます。これって「種の生存」的にはリスクかなり高いような気がしますね。
そういえば、美人の基準は時代によって違う、という話がありますよね。しかし、もし外見による性淘汰が進んでいるとしたら、恐らく今の基準はクラッシュが起こるまで基本的には変わりそうにありません。数百年の間にどんどん強化されてきたのが、今の美形なのですから。。