「みんな」論

id:Bonvoyageさんから広がった「みんな」論考。id:svnseedsさんに習ってこの生存適者日記内も検索してみました。

で、だからといってみんながそこら中で好き勝手やってたらさすがに滅茶苦茶になる、ってことで、同じような価値観を持ったもの同士で固まって、その中で好き勝手やってね、というのがコミュニタリアニズム

ふんむ。本文で使用しているのはここだけの様ですね。この使い方なら妥当かな。もともと僕はあまり使わないんですよね。この単語。
というかまあ、「みんな〜なんだぞ!」ってのは単なる政治的レトリックに過ぎないわけですよ。んで「みんなって誰?」というのもレトリック。そのへんをつついてもあまり面白い結論はでないような気がしています。
むしろ問題は、「少数の行為に対して本当に多数が不利益を被っている場合」どうすべきか?少数派は多数派とどう対峙すべきか?ってとこでしょうね。本当に「みんな迷惑」していたらどうするのか?
このへんは実はid:ueyamakzkさんのところのゼロサムゲームの話にもつながってきます。 全体がうまく行く方法がそもそもない(=ゼロサムゲーム)のではないか?という疑念が現在世界を覆いつつあるような気がしてなりません。ここは誰かが説得力のある方法でプラスサムゲームがあることをアナウンスする必要があります(例え究極的にはゼロサムでも。。それが人間の尊厳ってもんです)。
実際のところ、「みんな」が我慢しているのに何故かシステムが改善されない、という場合、実は誰かがトクをしているんですよ。よ〜く考えてみましょう。