任天堂はさすが、天の動きを良く見ているよ

Inspired by 本を読んで分かった任天堂の「今そこにある危機」
「ゲームの会社」ではなく、「ソフトの会社」と自己を再定義しているところがまずすごいですね。
DSにしろWiiにしろ脳トレにしろ、特にこの数年の任天堂の動きの底流には、前回書いたような社会の新しいコンセプトが確実に流れている。
あえていうまでもないですが、それは「家族(コミュニティ)」・「健康」・「教育」の三つ。
任天堂が生み出しているのは「ゲーム」でも「ゲーム機」でもなく、これらのコンセプトを支援する「ソフト」なのです。
もちろんコンセプトだけでうまく行くわけじゃない。
それを実現するためには任天堂ならではの「強み」が必要であり、それがこれまで「ゲーム」として培ってきた「センス」というわけ。
ゲームは重要ではあるけれど、あくまで「ソフト」の一要素なのです。そこまで割りきれるところが「天」の動きを第一とする任天堂の凄みでしょうね。ドラッカーのいうところの「機会主義」を愚直に実行しているのです。
一人勝ちの要因は、これらのコンセプトに周囲が追いつけない、からではない。
最先端を追いたい人たちにとってはこれらのコンセプトは古臭くみえ、受け入れるのに抵抗があるのです。
しかし任天堂が提示しているのは旧態依然としたそれではなく、あくまで新しい形のコミュニティであり、健康であり、教育なのです。そしてそれは最先端であると同時に、世界に対する普遍性もあわせ持っている。
各自の強みを活かす形で、これらのコンセプトを支援する仕事を生み出すこと。
このことに気づき実行する者こそが任天堂への次なる刺客となり、今後の日本と世界をリードすることになるでしょう。

貧乏に適応するということ

貧困までいくとまずいけれども、社会生活にカネがかからないような形の変化は必ずしも悪くないんじゃないか。
リフレ的に考えると、カネはどんどん使った方がいい。確かにその通りなのだけれど、そのために生活や人生を金銭的サービスに過度に依存させるのはいいとばかりはいえない。
生活や人生を金銭的サービスに依存するということは、カネが途切れたら生活や人生が破綻する、ということ。
であればこのやり方が回るには、将来にわたってカネに困る心配がない、という認識が大前提になる。終身雇用という幻想はココに効いてたんじゃないだろうか。
しかし、そういう幻想が崩れた以上、カネに対して防衛的になるのは避けられない。ちょっとくらい余裕があっても、生活破綻のリスクがあればため込むに決まっている。
ならば逆に、カネにそれほど依存しない、生活や人生を支える「外殻」を作ることがむしろ対策になるんではないだろうか。
家族、健康、教育というのはこの辺にもつながってくる。
逆説的だけど、カネがなくても生活、人生、やってける、という仕組みと認識こそがデフレ対策だったりするんじゃなかろうか。
てかもろに北風と太陽だなこりゃ。

サックス強化週間。

ここのところSaxづいています。今度中尾さんともセッションするし、耳を鍛えておかなきゃいけませんね。
つうことで少々変り種Sax音楽を紹介します。

アーバン・サックス。フランス出身の巨大Sax楽団。アダム軍団が吹きまくるような壮観。こうして見るとSaxという楽器はメカニカルでいながら有機的で、絵的にシュルレアリズムと相性がいいのかも。

篠田昌已 西村卓也デュオ。コンポステラの創始者であり、夭折したSax奏者篠田昌已の貴重な録音。シンプルなセッションだけど篠田の音が美しすぎる。

動くアート・ペッパー! オサレイメージがありますが、意外にもかなりアグレッシブな演奏。

パワー系の代名詞、ペーター・ブロッツマン羽野昌二さんとのセッションですね。こいつはビールに合う音楽だな〜。爽快!!